ジョーンズと揺籃期の研究者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:28 UTC 版)
「インド・ヨーロッパ語族」の記事における「ジョーンズと揺籃期の研究者たち」の解説
「ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)」も参照 ヨーロッパとインドで使われる言語の関係を指摘する者は以前にもいたものの、研究が進む契機となったのは18世紀末にイギリス人のウィリアム・ジョーンズによってなされた指摘であった。ジョーンズは植民地インドの判事として現地法を研究しており、1784年にベンガル・アジア協会を組織した。サンスクリットを学び始めたジョーンズは、その語根や文法の構造が、ヨーロッパの諸語、とりわけラテン語とギリシア語に類似していることに気付き、共通の祖先にあたる言語が想定されるという考えを発表した。この指摘に研究が触発されたことから歴史的な重要性が認められるが、発表の本筋とは離れた小さな扱いであった。また、旧約聖書が描くような単一の人類の原祖を想定したジョーンズの関心は民族史や文化史にあり、それぞれの言語に深い関心を持ちつつも印欧語を俯瞰した研究を深めようとはしなかった。 ジョーンズの示唆を実証する研究はイギリスでは進まず大陸に移ることとなった。この先駆的時代の研究にフリードリヒ・シュレーゲル、フランツ・ボップ、ラスムス・ラスク、フリードリヒの兄のアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル、W.v.フンボルト、ヤーコプ・グリムらによるものがある。フリードリヒ・シュレーゲルは1808年の著作『インド人の言語と英知(ドイツ語版)』でサンスクリットとヨーロッパの言語の比較を試みた。ボップとラスクの著作は、比較言語学の第一作を争うものとして知られている。アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルとフンボルトは、フリードリヒ・シュレーゲルの分類を発展させて屈折語・孤立語・膠着語・抱合語という言語の四類型を立てた。グリムはラスクの論を受け継いでゲルマン祖語に起きた音韻法則であるグリムの法則を見出した。また黎明期の研究を総括したシュライヒャーによって、印欧祖語を再建する初めての試みが1861年に提出された。重要な業績が残された一方で、音声学の視点を欠く不完全さがあったともされる。 ジョーンズはサンスクリット、ラテン語、ギリシア語を中心としてゴート語、ケルト語、古代ペルシア語の資料を用いていた。シュレーゲルはアルメニア語とスラヴ語が語族に含まれることを示唆したが、確証はしなかった。語族の構成員を探る試みは主にボップによってなされ、1838年および1854年の講演ではケルト語とアルバニア語が帰属することを示した。彼の死後の1868年から1871年にかけて公刊された『比較文法』の第三版ではアルメニア語とスラヴ語が含まれることを示し、これによって死語となっていない語派の構成が確定した。 言語のグループを指す用語としてトマス・ヤングによる「インド・ヨーロッパ語」が1813年に提出された。現代において、ドイツ語圏においてのみユリウス・ハインリヒ・クラプロートが1823年に提唱したインド・ゲルマン語という名称が用いられ(ドイツ語: Indogermanische Sprachen)、その他の言語ではインド・ヨーロッパ語に相当する呼称が用いられる。
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