ジョーンズの「虹色の家族」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:45 UTC 版)
「ジム・ジョーンズ」の記事における「ジョーンズの「虹色の家族」」の解説
ジムとマルセリーヌのジョーンズ夫妻は、少なくとも一部に白人以外の血が混ざっている数名の子供を養子とした。ジムは、この家族のことを「虹色の家族」(英語: rainbow family)と呼んだ。ジョーンズは加えて、「人種的統合は、今、私の更に身近な事案となりました。これは私の息子の未来に関わることなのです」と述べている。ジョーンズは、人民寺院全体をこの「虹色の家族」と思い描いていた。 ジョーンズ夫妻は、3人の韓国系アメリカ人の子供、リュウ、スザンヌ、ステファニーを養子に迎えていた。ジョーンズは、朝鮮戦争で荒廃した朝鮮の戦争孤児を養子にするよう、人民寺院の信者達に奨励していた。同時にジョーンズは、アメリカ合衆国が朝鮮の共産主義者のリーダー・金日成による1950年代の韓国侵攻に反対するという立場をとり続けていることに長い間批判的だった。ジョーンズは、この侵攻の事を「解放戦争」と呼び、加えて「南は、北の社会主義が打破したあらゆる旧弊の見本市だ」と述べていた。1954年、ジョーンズ夫妻は、ネイティヴ・アメリカンの血を引くアグネス・ジョーンズを養子に迎えた。アグネスは、養子に迎えられた時点で11歳だった。スザンヌ・ジョーンズは1959年、6歳の時に養子に迎えられた。1959年6月、ジョーンズ夫妻の間に、唯一となる実子、ステファン・ガンジー・ジョーンズが誕生している。 2年後の1961年、ジョーンズ一家はジェームズ・ウォーレン・ジョーンズ・ジュニアという黒人の子供を養子とした。インディアナ州で白人夫婦が黒人を養子にしたのはこれが初めてだった。更に、夫妻はティムという白人の子供を養子に迎えた。ティム・ジョーンズの実の母親は人民寺院の信者であり、元々の名前はティモシー・グレン・タッパーであった。
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