ジェミニ4号
名称:ジェミニ4号(Gemini 4)
小分類:ジェミニ計画
打ち上げ国名・機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1965年6月3日
帰還年月日:1965年6月7日
打ち上げロケット:タイタンII
宇宙飛行士:ジェームズ・A・マクディビット/エドワード・H・ホワイト
飛行時間:97時間56分
国際標識番号:1965043A
ジェミニ4号では、アメリカの宇宙飛行計画で初の船外活動が行われました。本当ならジェミニ6号で人類初の船外活動が行われる予定だったのが、ソ連のボスホート2号のアレクセイ・レオーノフ宇宙飛行士に先を越されたため、ジェミニ4号で船外活動することに決まったのでした。
船外活動を行ったのはエドワード・ホワイト宇宙飛行士です。宇宙服の胴体に備えつけられた加圧酸素の噴射と、手に持ったジェット・ガンの噴射とで、宇宙空間で活動しました。彼は、宇宙から眺めた地球の美しさにすっかり感動してしまい、宇宙船に戻るときが「わたしの生涯のなかでいちばん悲しい瞬間」だったと語りました。船外活動した時間は22分間でした。
1.宇宙船はどんな形をして、どのような性能を持っているの?
ジェミニ宇宙船は搭乗カプセルと機械船から構成され、円錐形をしています。機械船は電力や酸素などをカプセルに供給する役目のもので、実験装置を収める場所でもありました。2つをあわせた全長は5.6m、最大直径3.1m、重量3.5tです。逆推進エンジンや姿勢制御エンジンがついていました。
2.ロケットはどんな形をして、どのような性能を持っているの?
タイタンIIは大陸間弾道ミサイルを改良した多段式ロケットで、全長33.2m、直径3.1m、重量185tです。
3.打ち上げや飛行の順序はどうなっているの?
打ち上げから約2分30秒後にタイタンIIの第1段が切り離され、地球周回軌道に入ると第2段が切り離されます。地球に戻るときは、機械船が切り離され、搭乗カプセルだけで大気圏に再突入しました。
5.宇宙でどんな活動をし、どのような成果をおさめたの?
船外活動を行ない、人間が宇宙空間でも活動できることを証明しました。
※参考文献:アラン・シェパード,ディーク・スレイトン著/ムーンショット(集英社)、竹内均・監修/Newton Collction II 宇宙開発(教育社)、松井孝典・著/「宇宙誌」(徳間書店)
ジェミニ4号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 09:42 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ジェミニ4号 | |||||
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徽章
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ミッションの情報 | |||||
ミッション名 | ジェミニ4号 | ||||
宇宙船 | ジェミニ4号 | ||||
質量 | 3,574キログラム (7,880 lb) | ||||
乗員数 | 2名 | ||||
コールサイン | Gemini 4 | ||||
打上げ機 | タイタンII GLV #62-12559 | ||||
発射台 | ケープカナベラル空軍基地LC-19発射台 | ||||
打上げ日時 | 1965年6月3日 15:15:59 UTC |
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船外活動開始 | 1965年6月3日 ハッチ開放19:34 UTC 開始19:46 UTC |
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船外活動終了 | 1965年6月3日 終了20:06 UTC ハッチ閉鎖20:10 UTC |
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着陸または着水日時 | 1965年6月7日 17:12:11 UTC 北緯27度44分 西経74度11分 / 北緯27.733度 西経74.183度 |
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ミッション期間 | 4日01時間56分12秒 | ||||
周回数 | 62周 | ||||
遠地点 | 282.1キロメートル (152.3 nmi) | ||||
近地点 | 162.3キロメートル (87.6 nmi) | ||||
公転周期 | 88.94 分 | ||||
軌道傾斜角 | 32.53° | ||||
航行距離 | 2,782,486キロメートル (1,728,957 mi) | ||||
乗員写真 | |||||
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左がホワイト、右がマクディヴィット | |||||
年表 | |||||
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ジェミニ4号 (Gemini IV)はアメリカ合衆国の有人宇宙飛行であるジェミニ計画で打ち上げられた宇宙船およびその宇宙飛行計画。ジェミニ宇宙船としては4番目のものであり、1965年6月3日に打ち上げられた。アメリカでははじめて宇宙遊泳が行われた。
概要
ジェミニ4号は、ジェミニ3号に続く宇宙飛行であり、アメリカ合衆国のものでは初めて、宇宙遊泳及び複数日に渡る宇宙滞在を目的にしていた。さらには、タイタンII GLVロケット第二段とのランデブー飛行も含まれていた。これらは月飛行計画の技術開発の意味合いもあった。ジェミニ4号のためにヒューストンに新しい管制センターが設けられ、長期滞在のために管制官が三交代勤務を行なった。
打上げは1965年6月3日15:15:59UTCにケープカナベラル空軍基地LC-19発射台より行なわれた。打上げの様子はヨーロッパへも通信衛星でもって、映像中継された。打上げは順調に行き、近地点162.3km、遠地点282.1kmの軌道に投入された。
軌道上でのランデブー試験は、タイタンII GLVロケット第二段を標的に行なわれた。宇宙空間では、目視による距離が掴みづらく軌道姿勢制御システム(OAMS)を用いた接近操作は難渋し、結局ランデブーはあきらめられた。
ランデブー試験に続いて、宇宙遊泳の準備が行なわれた。当初計画では軌道周回2週目に行なわれる予定であったが、ランデブー試験の疲れもあり、第3周目に延期された。キャビンの減圧の後、命綱を付け宇宙銃を持ったエドワード・ホワイトが船外に出た。宇宙船より約5m離れて、いくつかの運動を行なった。15分40秒後に彼は船内に戻った。ハッチの開閉に難があったため、2度目の宇宙遊泳は行なわれなかった。
ジェミニ4号では11個の試験・実験が行われた。実験D-8では5機の線量計を用いて放射線測定が行なわれ、南大西洋異常帯が詳しく調べられた。実験D-9では六分儀を用いた航法が試みられた。実験5-5および5-6は地球の写真を撮影し、気象および地表の測定に用いた。実験M-3とM-4は医学的実験であり、ゴムひもを用いた運動や心音測定が行なわれた。
実験MSC-1では宇宙船の静電荷測定が行なわれ、MSC2では電子-陽電子の観測、MSC3では三軸磁力系観測、MSC10では地球縁辺部の写真撮影(赤青二色による)を行なった。
軌道周回48週目にIBM製のコンピュータが故障したために、大気圏再突入時の姿勢制御が困難となり、部分的に揚力を用いた制御性の高い再突入は放棄された。宇宙船の揚力発生を抑えるために、ロール回転(rolling)を行いつつ、再突入を実施している[1]。高度3,230mで主パラシュートが開傘、フロリダ半島沖の大西洋上に着水した。飛行時間は4日を越え、アメリカ合衆国の宇宙飛行では最も長いものとなった。乗員はヘリコプターにより航空母艦ワスプへ回収された。アメリカ国防総省もジェミニ4号の支援についており、人員10,249名と航空機134機、艦艇26隻が投入された。
ジェミニ4号はワシントンD.C.の国立航空宇宙博物館に保管展示されている。
搭乗員
- 船長:ジェームズ・マクディヴィット
- パイロット:エドワード・ホワイト
予備搭乗員
注釈
- ^ Oral History Transcript / James A. McDivitt / Interviewed by Doug Ward / Elk Lake, Michigan - 29 June 1999
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ジェミニ4号に関するカテゴリがあります。
- NASAによるジェミニ計画概説
- NASA Gemini 4 press kit - May 21, 1965 (PDF, 3 MiB) - ウェイバックマシン(2012年2月27日アーカイブ分)
- JAXAによる解説
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- ジェミニ4号のページへのリンク