シンプリキウス (ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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シンプリキウス (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 08:52 UTC 版)

シンプリキウス
第47代 ローマ教皇
教皇就任 468年3月3日
教皇離任 483年3月10日
先代 ヒラルス
次代 フェリクス3世
個人情報
出生 不明
西ローマ帝国イタリア首都近郊管区ティヴォリ
死去 483年3月10日
不明
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シンプリキウス(Simplicius, ? - 483年3月10日)は、第47代ローマ教皇(在位:468年3月3日 - 483年3月10日)。

イタリアのティヴォリでカスティヌスの息子として生まれ、その生涯についての多くはLiber Pontificalisの記述により知られる。

シンプリキウスはカルケドン公会議単性説に対して保守的な立場をとり、野蛮人の襲撃からイタリア人を守るために尽くした。ゲルマン人傭兵の反乱と476年のオドアケルによるロムルス・アウグストゥルスの追放及びイタリア王即位の宣言を目撃した。オドアケルはローマの統治機構はそれほど変えなかったが、司祭の地位は固く手中に収めた。

シンプリキウスはローマに聖ビビアナ教会を建立したことが記録されている。

カトリック教会によって列聖され、聖人暦は3月10日となっている。




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