サロン入選の努力とは? わかりやすく解説

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サロン入選の努力(1860年代初頭)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:47 UTC 版)

エドゥアール・マネ」の記事における「サロン入選の努力(1860年代初頭)」の解説

1859年サロンに、『アブサンを飲む男』を初め提出したが、下絵のような無造作描き方不評だったのに加え酔った男や足元酒瓶という露骨な現実画題とすることがサロンふさわしくない酷評され落選した。もっとも、審査員だったウジェーヌ・ドラクロワからは評価された。詩人シャルル・ボードレールも、この作品賞賛した。この頃には、マネボードレール親しく交流していた。サロン落選続いて1860年には、マネ制作した肖像画ブリュネ夫人』が、モデル家族から受取り拒否されるということもあった。 この頃マネが住むバティニョール地区近くには小ポーランド地区フランス語版)という貧民街があったが、ジョルジュ・オスマンによるパリ改造の中でマルゼルブ大通りフランス語版)が縦貫することになり(1861年開通)、古い家屋取り壊されていったマネ1861年アトリエ構えたギュイヨ通り(現メデリック通りフランス語版))もその近くである。友人マルセル・プルースト回想によればマネは、一緒にポーランド通った時、家屋が埃を上げて取り壊されている情景見て長い間押し黙って心を奪われていたという。1860年代初頭マネ作品には、小ポーランド界隈貧し人々描いた思われる作品が多い。 1861年サロンに、『スペインの歌手』と、両親描いた『オーギュスト・マネ夫妻肖像』を応募しいずれも初入選した当時フランスではスペイン趣味流行しており、マネは、イタリア風の古典的作品反発する立場から、スペイン写実主義絵画傾倒していた。彼は、マドリード巨匠たちやフランス・ハルス思い浮かべながら『スペインの歌手』を描いた語っている。『スペインの歌手』は、サロン会場人目につかない隅に展示されていたが、テオフィル・ゴーティエ絶賛したことから、急に中央の良い場所に移され優秀賞佳作)の評価まで受けたアルフォンス・ルグロアンリ・ファンタン=ラトゥールカロリュス=デュランフェリックス・ブラックモンなど、若いレアリスム画家たちはこの作品衝撃を受け、そろってマネの家を訪れたマネは彼ら画家集団となっていった。一方、『オーギュスト・マネ夫妻肖像』については、両親の間に奇妙な冷たさ流れていることから、批評家から、「マネは最も神聖な肉親の絆でさえも土足踏みにじる」と非難された。それでも、サロンでの成功重んじる父に対し約束を果たすことができた。 同年秋には、イタリアン大通りのルイ・マルティネの画廊主要作品展示する展覧会開いた。この時以来マルティネ画廊ではマネ作品取り扱うようになった1862年には、テュイルリー宮殿隣接する庭園開かれたコンサート題材とした『テュイルリー公園の音楽会』を制作しテオフィル・ゴーティエボードレールジャック・オッフェンバックザカリー・アストリュクアンリ・ファンタン=ラトゥールといった社交界友人たちモデルとして登場させた。第二帝政下の華やかなブルジョワ社会描いた作品である。マネは、1863年マルティネ画廊での個展に『テュイルリー公園の音楽会』や『ローラ・ド・ヴァランス』を展示したが、輪郭はっきりした筆遣いや、平面的な色面の処理が奇妙だ捉えられ激し非難さらされた。 この時期マネは、内縁の妻シュザンヌモデルにした『驚くニンフ』や、レオン少年モデルにした『剣を持つ少年』などを制作している。1862年マネの父が亡くなると、1863年10月マネシュザンヌ結婚したまた、この頃知り合った女性ヴィクトリーヌ・ムーランモデル依頼して、『街の女歌手』、『ヴィクトリーヌ・ムーラン肖像』などを制作している。 『アブサンを飲む男(英語版)』1859年油彩キャンバス、180.5 × 105.6 cmニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館コペンハーゲン)。同年サロン落選。 『スペインの歌手(英語版)』1860年油彩キャンバス、147.3 × 114.3 cmメトロポリタン美術館1861年サロン入選。 『オーギュスト・マネ夫妻肖像フランス語版)』1860年油彩キャンバス135 × 115 cmオルセー美術館1861年サロン入選。 『驚くニンフ英語版)』1860-1861年。油彩キャンバス146 × 114 cmブエノスアイレス国立美術館。 『剣を持つ少年英語版)』1861年油彩キャンバス、131.1 × 93.4 cmメトロポリタン美術館。 『テュイルリー公園の音楽会1862年油彩キャンバス、76.2 × 118.1 cmナショナル・ギャラリー(ロンドン)。 『ローラ・ド・ヴァランス(フランス語版)』1862年油彩キャンバス123 × 92 cmオルセー美術館。 『老音楽師1862年油彩キャンバス、187.4 × 248.2 cmナショナル・ギャラリーワシントンD.C.)。 『街の女歌手1862年頃。油彩キャンバス、171.1 × 105.8 cmボストン美術館。 『ヴィクトリーヌ・ムーラン肖像フランス語版)』1862年頃。油彩キャンバス、42.9 × 43.8 cmボストン美術館

※この「サロン入選の努力(1860年代初頭)」の解説は、「エドゥアール・マネ」の解説の一部です。
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