イタリアン大通り
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Buildings on the Boulevard des Italiens at the start of the 20th century
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行政区 | 2区・9区 |
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座標 | 北緯48度52分17.11秒 東経2度20分13.19秒 / 北緯48.8714194度 東経2.3369972度座標: 北緯48度52分17.11秒 東経2度20分13.19秒 / 北緯48.8714194度 東経2.3369972度 |
起点 | モンマルトル大通り |
終点 | キャピュシーヌ大通り |
イタリアン大通り (Boulevard des Italiens) は、フランス・パリ2区と9区の境に位置する大通りである。
場所とアクセス
パリの「グラン・ブールヴァール」の一画をなす。すなわち、西から東へマドレーヌ大通り、キャピュシーヌ大通り、イタリアン大通り、モンマルトル大通り、ポワッソニエール大通り、ボンヌ=ヌーヴェル大通り、サン=ドニ大通り、サン=マルタン大通り、タンプル大通り、フィーユ・デュ・カルヴェール大通り、ボーマルシェ大通りと、パリ中心部を囲むようにつながっている。
最寄駅は、メトロのオペラ駅とリシュリュー=ドゥルオ駅である。
名称の由来
1783年に建てられたイタリアン劇場(現在のオペラ=コミック座)に由来する。
沿革
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1789年に大通りで行われた戦闘。
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1890年頃のカフェ・リシュ。
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20世紀初頭のイタリアン大通りの混雑。
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左側にメゾン・ドレとカフェ・トルトーニ、右側にカフェ・リシュ。
著名な建物
- ラフィット通りとの交差点からは、サクレ・クール寺院がノートルダム・ド・ロレット教会に隣り合うように見える。
- 5番地の2:1860年から、パサージュ・デ・プランスの路地がここから開通した。
- 6番地:ファッション写真家A.フェリックスのアトリエであった。
- 8番地:1859年以降、第二帝政期のファッション写真家ウジェーヌ・ディデリ (Eugène Disdéri) のアトリエであった。
- 13番地:マリヴォー通りとの角に、第二帝政期の有名なレストランカフェ・アングレ(1802年-1913年)があった。その後アール・ヌーヴォーの建物に建て替えられた。
- 15番地:シネマ・マリヴォーが1919年に開館した。その後経営主体が代わった末、レストランとなった。
- 16番地:BNPパリバの本店。アール・デコ・スタイルで、1926年から1933年にかけて建築された。元はカフェ・リシュがあった場所である。
- 19番地:クレディ・リヨネ (Credit Lyonnais) の本店。ガス照明の最初のテストが行われた。
- 20番地:メゾン・ドレがあった。
- 22番地:カフェ・トルトーニがあった。
- 25番地:写真家フェルディナン・ムニエ (Ferdinand Mulnier) の住居であった。
- 26番地:Café de Badeがあった。
- 27番地:音楽出版社エノックの本社があった。
- 29番地:公衆浴場バン・シノワがあった。
- 31番地:蓄音機・映画のパテ (映画会社) (Pathé Salon, Pathé Frères Salon) 跡地にあたる。
- 36番地:1929年、建築家ミッシェル・ルー=スピッツが建物を建てた。
- 38番地:イタリアン大通りの西端。折れ曲がるとショセ=ダンタン通りである。
ギャラリー
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カフェ・アングレの跡地。
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BNPパリバ本店とメゾン・ドレのファサード。
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クレディ・リヨネ本店。
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パレ・ベルリッツ。
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