ボーマルシェ大通りとは? わかりやすく解説

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ボーマルシェ大通り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 14:58 UTC 版)

バスティーユ広場に向かってみるボーマルシェ大通り。七月革命記念柱が見える。

ボーマルシェ大通り(ボーマルシェおおどおり、フランス語: Le boulevard Beaumarchais)は、フランスパリ3区4区と、11区との境目を走る大通りブールバール)である。3区・4区マレ地区の東端を南北に走る通り。

データ

ボーマルシェの像。トゥルネル街フランス語版サン=タントワーヌ街フランス語版の交差点にある。

区域

このパリの大通りフランス語版は、パリ4区のラ・バスティーユ街フランス語版の一角を起点に、11区のリシャール=ルノワール大通りフランス語版へと続き、3区のポントシュー街、11区のサン=セバスティアン街の交差点へとつづく道路である。バスティーユ広場からフィーユ=デュ=カルヴェール大通りフランス語版までをその領域とする。

起点のバスティーユ広場には、七月革命記念柱があり、そこから同大通りに並んで放射線状に北へ向かうリシャール=ルノワール大通りの起点には、バスティーユ市場がある[1]。すぐ西側に広がるル・マレには、ヴォージュ広場フランス語版ヴィクトル・ユーゴー記念館フランス語版があり、西側を北上すればサン=ドゥニ・デュ・サン=サクルマン教会があるが、いずれも通りには面していない[1]

パリメトロ8号線シュマン・ヴェール駅 (メトロ)フランス語版を出ると、同大通りの西側に沿って、カメラ屋やオーディオの専門店街が立ち並び、中古カメラ屋の店先には、ライカローライの写真機、中判カメラ等が展示販売されている。

略歴

この並木道は、17世紀、1670年6月7日の王令によって、シャルル五世の城壁フランス語版の破壊ののちに、建設されたものである。同大通りは、Le cours の名で呼ばれ、さらには、「サン=タントワーヌ大通り」(boulevard Saint-Antoine)あるいは「サン=タントワーヌ門大通り」(boulevard de la Porte Saint-Antoine)とも呼ばれた。

おもな施設

アクセス

脚注

  1. ^ a b 『地球の歩き方 パリ&近郊の町 '11-'12』、p.143.
  2. ^ Notice no PA00086576, archive[リンク切れ], フランス文化省データベース、2011年12月23日閲覧。
  3. ^ Notice no PA00086525, archive[リンク切れ], フランス文化省データベース、2011年12月23日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

座標: 北緯48度52分25.7秒 東経2度22分5.3秒 / 北緯48.873806度 東経2.368139度 / 48.873806; 2.368139




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