コーポレート・ガバナンスの主権者
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「コーポレート・ガバナンス」の記事における「コーポレート・ガバナンスの主権者」の解説
コーポレート・ガバナンスの主権者は誰か(誰が企業を統治するのか)という問題は、「会社(企業)は誰のものか」という問いとも置き換えられ、日本などで多くの議論を呼んできた。 会社法上は、(1)出資者である株主が取締役の選任権を有し、最終的に事業の運営を支配していること、(2)事業の活動によって生じる利益が株主に帰属することの2点をもって、株式会社の所有者は株主であると解釈されている。しかし、現実の企業所有イメージにおいて、誰を企業の所有者・主権者として認めるかは必ずしも一様ではなく、敵対的買収などの局面で株主が取締役の選任権を実質的に行使することに対し抵抗感が持たれる場合もある。 アメリカでは、多くの人が、企業は株主のものであるというイメージを抱いている。これに対し、ドイツでは、企業は株主と従業員のものという二元的所有のイメージが強く、日本では、従業員、株主、顧客、社会全体のものという多元的なイメージが強く、その中でも特に従業員のものという考え方をする人が多いとされる。1990年代初頭に日米英仏独の経営者・管理者を対象に行われたアンケート調査においては、「企業の所有者は株主である。株主利益が最優先されるべきである」という命題と、「会社は利害関係者全体の長期的利益を増進するために存在する」という命題それぞれに対し肯定的な回答をした経営者・管理者の割合は次表のとおりであった。 各国の企業所有イメージ アメリカ合衆国 ドイツ 日本株主76% 17% 2.9% 利害関係者全体24% 83% 97% 日本で、従業員が会社を所有しているという独自のイメージが作り上げられてきた背景には、終身雇用・年功序列という日本型雇用慣行がある。日本の年功賃金制度の下では、従業員は若年期は生産性よりも低い賃金しか受け取れず、熟年期にその見返りとして生産性より高い賃金が支払われ、最終的には退職金という形で精算される。このような賃金後払いの仕組みにより、従業員は「見えざる出資」、すなわち自分の人的資本形成への投資を強いられている。したがって、従業員は、長く同じ会社に勤務することによって投資を回収する必要があり、従業員が会社に対して所有意識を持つに至ったのにはそれなりの必然性があると指摘されている。こうした考え方は、日本における企業買収(特に敵対的買収)への強いアレルギーにもつながっており、王子製紙の北越製紙に対する敵対的買収の不成立を受けて行われた経営者に対するアンケートでは、「日本の文化になじまない」という理由で日本で敵対的買収が定着しないとした回答が多かった。 このような企業イメージに対応して、1990年代後半から日本で主張され始めたのが、コア従業員主権論であった。これは、会社は「コア従業員」、すなわち長期的に会社にコミットする従業員(従業員の中から選出される経営者を含み、パートや派遣社員は含まない)のものであるという考え方である。その理由として、(1)コア従業員の方が株主よりも企業競争力への貢献度が高く、かつ希少性も高い(会社特殊的な技術・知識を有しており、代替性が低い)、(2)コア従業員の方が会社へのコミットメントが強く、かつ長い(資源を長期にわたって提供し続ける意図を持っている)、(3)コア従業員は賞与への業績の反映というリスク、そして倒産による解雇という重いリスクを負担しているのに対し、株主のリスクは分散投資により軽減することができる、という3点を指摘する。 これに対し、株主主権論からは、(1)付加価値の形成に最も貢献している者が会社の監視に当たることが適切とは限らない――従業員を球団の選手に例えれば、選手に監督(経営者)を選ばせると、選手はその監督の下で優勝できる可能性よりも「その監督が自分を使ってくれるか」を優先するインセンティブが働くため、外部からそれを監視する必要がある――、(2)(a)短期的にしか株式を保有しない株主であっても、長期的な利益・株価を予想して株式を売買している、(b)また従業員の会社へのコミットメントが強いことは、むしろ過大なマーケット・シェアの拡大や多角化によるポスト増を求める方向に働き、一方で雇用確保のため不採算部門からの撤退を難しくし、企業変革を遅らせる、(3)(a)実際には従業員は付加価値から最初に分配を受けており、従業員と債権者に分配した後に残らなければ株主は分配を受けることができない、(b)解雇というリスクについては、解雇による生涯賃金の減少分を補填するような割り増し退職金制度を設けることにより、従業員の技術習得意欲を維持することが可能であり、また国全体の雇用を守るのは政府の役割である、などと反論されている。 もっとも、「会社は誰のものか」という極端な議論は誤解を生みやすいと指摘されている。株主主権論の立場からも、従業員に対して正当な報酬を支払わなければ、働く意欲が低下し、生み出される付加価値も減少することから、コア従業員の持つ会社特殊的人的資本の貢献を適正に評価し、付加価値を分配することが必要であるとされており、株主だけが会社の成果を丸取りすることを主張するものではないと考えられている。
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