コンスタンティヌス帝の寄進状とは? わかりやすく解説

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コンスタンティヌス帝の寄進状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:57 UTC 版)

中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「コンスタンティヌス帝の寄進状」の解説

詳細は「コンスタンティヌスの寄進状」を参照 『コンスタンティヌス帝の寄進状』は、『偽イシドールス教令集』記載されいたもので、作者不明である。このイシドールスとは7世紀イベリア半島セビリャ大司教のことである。イシドールス従来教令集にスペインでの教会会議決定増補し、『ヒスパナ』という教令集を編纂した。のちにこれが『イシドールス集録』と呼ばれカノン法法源とされた。『偽イシドールス教令集』はこれとは別の物で、8世紀9世紀イシドールス仮託して作成され偽文書である。 この文書書簡形式であり、その日付は315年3月30日書かれたことになっている。まずコンスタンティヌス1世癩病患い時の教皇シルウェステル1世祈りによって救われたとするコンスタンティヌスシルウェステル1世皇帝にしようとしたが、シルヴェステル1世帝冠一度受け取った被らず帝冠改めコンスタンティヌス1世被せたという。次にこの文書聖ペテロに向ける形でコンスタンティヌスによる以下の寄進記録を記す。すなわちアンティオキア・アレクサンドリア・エルサレム・コンスタンティノポリスと、他の全ての教会対す優越権皇帝紋章ラテラノ宮殿下賜西部属州における皇帝教皇委譲した。この架空の歴史事実によって教皇は「普遍的司教」であり、皇帝任命権保持していると主張したカール大帝の戴冠もこの理念則った形で行われ、これを先例としてのちに教皇皇帝よりも優越的地位にあることの根拠とした。 [先頭へ戻る]

※この「コンスタンティヌス帝の寄進状」の解説は、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の解説の一部です。
「コンスタンティヌス帝の寄進状」を含む「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事については、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の概要を参照ください。

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