コンスタンティヌスへの啓示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 09:15 UTC 版)
「ミルウィウス橋の戦い」の記事における「コンスタンティヌスへの啓示」の解説
ミルウィウス橋の戦いの前にコンスタンティヌスにキリスト教の神より勝利の導きがあったと伝えられる。 一説には、ミルウィウス橋に向かう行軍中に、太陽の前に逆十字とギリシア文字 X と P の二文字が見えて、コンスタンティヌスが、ギリシア語で「この印を以て征服するだろう」と聞いたと信じられている。 3世紀から4世紀にかけて活動したキリスト教著述家のラクタンティウスは、戦いの前夜(10月27日の晩)にコンスタンティヌスが夢で「コンスタンティヌス軍の頭上に大きな印が示される」(de mort. pers. 44,5)と命令されたと述べ、コンスタンティヌスが「ラバルム」を盾に貼り付けたとしている。ただし、エウセビオスがそれ以前にコンスタンティヌスへ「ラバルム」の印を付けるように指導していたとも伝えられ、ミルウィウス橋の戦い以前よりその紋章を付けていた可能性もある。 フラミニア街道に沿ってコンスタンティヌスは軍を進めて、10月にローマに到着して、ローマ近郊に陣を張った。 マクセンティウスは、307年と308年に同僚皇帝であったフラウィウス・ウァレリウス・セウェルスとガレリウスによる攻撃から耐え抜いたようにローマでの籠城を採用し、既に多量の食糧を確保していた。しかし、突如マクセンティウスは籠城策を捨てて、コンスタンティヌス軍との間での野戦により決着を付ける策に切り替えた。ラクタンティウスやエウセビオスといったキリスト教徒は「神が干渉したことによる」とし、ゾシムスは「迷信」の結果としている。また、戦いの日がマクセンティウスが皇帝即位を宣言した日と同一であり、幸先よいと考えたことによるともされるが、これらいずれの説明も根拠は不明確である。
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