コンスタンティノス12世、13世説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:00 UTC 版)
「コンスタンティノス11世パレオロゴス」の記事における「コンスタンティノス12世、13世説」の解説
コンスタンティノス11世を、「12世」あるいは「13世」とする数え方がある。 まず「コンスタンティノス12世」については、1204年の第4回十字軍によるコンスタンティノポリス攻撃の際に皇帝に選出されたものの一晩だけで逃亡したコンスタンティノス・ラスカリス(ニカイア帝国の初代皇帝テオドロス1世ラスカリスの兄)をコンスタンティノス11世とし、最後の皇帝を12世とする数え方である。 また「コンスタンティノス13世」については、7世紀の皇帝コンスタンス2世の本名が「コンスタンティノス」(「コンスタンス」は「小さなコンスタンティノス」の意。彼が幼少で即位したため)だったことから、コンスタンス2世を「コンスタンティノス4世」とし、以後の皇帝を コンスタンティノス4世 → コンスタンティノス5世 コンスタンティノス5世“コプロニュモス” → コンスタンティノス6世“コプロニュモス” といった具合に繰り下げて数え、なおかつコンスタンティノス・ラスカリスを「コンスタンティノス12世」としたためではないかと推測される。
※この「コンスタンティノス12世、13世説」の解説は、「コンスタンティノス11世パレオロゴス」の解説の一部です。
「コンスタンティノス12世、13世説」を含む「コンスタンティノス11世パレオロゴス」の記事については、「コンスタンティノス11世パレオロゴス」の概要を参照ください。
- コンスタンティノス12世、13世説のページへのリンク