クリスティ・アガサ(Agayha Christie)
本名アガサマローワン(元はアガサメアリクラリッサミラー)1890年(明23)、イギリスのトーケイ生まれ。別名メアリーウェストマコット。アメリカ人の実業家である父とは11歳のときに死に別れ、母親に育てられる。声楽家を目指し、パリに留学するが、声量不足で挫折。その頃、「ポエトリレヴュー」に詩を投稿し、何度か採用されている。
失意から立ち直ろうと、母とともにカイロに避寒で訪れた際にはじめて長編小説「砂漠の雪」を書き、トーケイで隣人だったフイルポッツに指導を受けた。
1914年(大3)、アーチボルトクリスティと結婚。第一次大戦に夫が出征したあと、ボランティア看護婦となるが、のちに薬局勤めとなり、、姉に勧められて余暇を利用して、探偵小説を執筆。
1916年(大5)に「スタイルズ荘の怪事件」を完成させ、1920年(大9)に刊行。
1924年(大13)、「新青年」に「ポワロの頭」シリーズとして、「メンタルテスト」「総理大臣の失踪」「海辺の出来事」「クラブのキング」「別荘の惨劇」「チョコレートの函」が河野峯子によって(延原謙の別名と推測される)によって訳される。
1926年(大15)、夫が愛人をつくったことが遠因となり、失踪事件を起こし、1926年(大15)に刊行した「アクロイド殺害事件」を宣伝する結果となる。
1927年(昭2)、アーチボルトクリスティと離婚。
1927年(昭2)、長編のはじめての邦訳として「アクロイド殺害事件」の抄訳が松本泰によって「苦楽」に掲載される。
1930年(昭5)、考古学者マクスローワンと知り合い、結婚。
1931年(昭6)、「シタフォードの謎」を発表。
1934年(昭9)、「オリエント急行の殺人」を発表。
1935年(昭10)、「ABC殺人事件」を発表。
1937年(昭12)に刊行された「ナイルに死す」は、坂口安吾の「不連続殺人事件」にヒントを与えた。
1939年(昭14)、「そして誰もいなくなった」を刊行。
1941年(昭15)、「白昼の悪魔」を刊行。
1944年(昭19)、「ゼロ時間へ」を刊行。
1950年(昭25)、「予告殺人」を刊行。
1953年(昭28)、「葬儀を終えて」を刊行。
1955年(昭30)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
1962年(昭37)、「鏡は横にひび割れて」を刊行。
1963年(昭38)、「複数の時計」を刊行。
1970年(昭45)、「フランクフルトへの乗客」を刊行。
1971年(昭46)、デイムの称号を与えられる。
1975年(昭50)、「カーテン」を刊行。
1976年(昭51)、「スリーピングマーダー」を刊行。
事件の背景や人間関係を丁寧に描き、プロットに密着したトリックを用い、小説としての完成度も高い。70年代末には全世界における著作の売上が50億冊にも達し、ミステリの女王と呼ばれる。戯曲「鼠とり」は上演連続記録をつくった。
1976年(昭51)、死去。
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