キャッスル・クリントン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 09:35 UTC 版)
Castle Clinton National Monument
Castle Garden |
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クリントン城
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所在地 | ニューヨーク市マンハッタン区サウス・フェリー |
---|---|
座標 | 北緯40度42分13秒 西経74度01分00秒 / 北緯40.70361度 西経74.01667度 |
面積 | 1エーカー (0.40 ha) |
建設 | 1808年 |
建築家 | 陸軍省John McComb |
訪問者数 | 2,949,231 (2004年) |
NRHP登録番号 | 66000537 |
指定・解除日 | |
NRHP指定日 | 1966年10月15日[1] |
NMON指定日 | 1946年8月12日 |
NYCL指定日: | 1965年11月23日 |
キャッスル・クリントン (Castle Clinton) またはフォート・クリントン (Fort Clinton) は、ニューヨーク市マンハッタン島の南端にあるバッテリー・パークに位置している砂岩の要塞である。1808年、フォート・アムステルダムに代わる防衛拠点として建設された。
クリントン砦と訳される場合がある[2]。。
1821年にアメリカ陸軍が退去した後は、劇場、ビアガーデン、展示場などとして利用され、キャッスル・ガーデン (Castle Garden) と呼ばれた。移民の受け入れ施設として重要な役割を果たしていた時期もあった。1855年から1890年の間、ニューヨーク港に到着した800万人以上の移民がここからアメリカに上陸した。エリス島に移民局が移転した後は、水族館に改造された。そして今日ではアメリカ合衆国ナショナル・モニュメントとして保護されている。
歴史

現在、クリントン城は約400年前のニューアムステルダムの時代にフォート・アムステルダムが建っていた場所からおよそ2ブロック西に建っている。
クリントン城の建設は1808年に始まり1811年に完成した。この要塞はウエスト・バッテリー (West Battery) と呼ばれ、時にサウス・ウエスト・バッテリー (South-west Battery) とも呼ばれた。建築家のJohn McComb Jr.とJonathan Williamsによって設計され、バッテリーパークが埋め立てられていなかった当時はマンハッタン島南岸の少し沖に作られた人工島であった。
ウエスト・バッテリーはイースト・バッテリー (East Battery) と呼ばれたガバナーズ島のウィリアムス城 (en) の機能を補完することが目的であった。建設されたのは緊張が高まっていた米英戦争の直前であり、イギリス軍の侵攻に備えて築かれたが、実際にこの砦が戦争活動に利用されることはなかった。この後、バッテリー・パークの埋め立て拡張が行われ、この砦はマンハッタン島の本島に組み入れられた。
アメリカ合衆国国立公園局管轄下の他のすべての歴史地区と同様に、この砦はキャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメントとして1966年10月15日にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。
名前と用途の変遷


- 1815年、ウエスト・バッテリーが当時のニューヨーク市長デウィット・クリントンの名前を取って「キャッスル・クリントン」となる。
- 1821年、アメリカ陸軍はこの要塞の使用をやめ、ニューヨーク市へ貸し出す。1824年7月3日には「キャッスル・ガーデン」という娯楽施設としてオープンする。プロムナード、ビアガーデン、レストラン、展示場、オペラハウス、そして劇場として利用されることとなる。当初は屋根なしで設計された。
- 19世紀の前半は、移民の多くは現在のサウスストリート・シーポート (en) あたりから上陸していたが、1855年8月1日から1890年4月18日までキャッスル・ガーデンがアメリカ初の移民局として開業した[3]。この業務記録の多くは、1892年1月2日に業務がエリス島に移った先で、1897年6月15日にあった火事で失われている[4]。キャッスル・ガーデンで受け入れた移民の数は800万人以上であり、1200万人以上とも言われる。

- 1941年、バッテリー・パークからブルックリンへ橋を建設するという計画が持ち上がり(実際はブルックリン-バッテリートンネルとして実現される)、建物は閉鎖される[5]。
キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメント
キャッスル・ガーデンは1946年8月12日にアメリカ合衆国ナショナル・モニュメントに指定されたが、ニューヨーク州知事 (トマス・E・デューイ) と立法者が連邦政府にこの資産を正式に譲渡する1950年7月18日までこの法律は効力を持たなかった。1970年には大きな改修が行われた。現在はアメリカ合衆国国立公園局の監督下におかれ、自由の女神とエリス島へ向かうフェリーの出発点となっている。外観は建設当初により近づけるように改修され博物館を設置し、本来のキャッスル・クリントンという名前に戻された。
著名なキャッスル・ガーデンから移民

- Martin Beck
- en:Edward Bok
- en:Mother Cabrini
- en:James J. Davis
- ウィリアム・フォックス (映画プロデューサー)
- en:L. Wolfe Gilbert
- エマ・ゴールドマン
- オスカー・ハマースタイン1世
- ハリー・フーディーニ
- en:Lew Leslie
- カール・レムリ
- メアリー・マローン
- en:M. P. Moller
- William Morris
- ジョーゼフ・ピューリツァー
- ミカエル・ピューピン
- en:J. William Schickel
- en:Charles Proteus Steinmetz
- ニコラ・テスラ
- en:Sophie Tucker
- en:Bert Williams
- en:Adolph Zukor
キャッスル・ガーデンに関する文献
- Castle Garden as an Immigrant Depot, 1855-1890, by George J Svejda (1968)
- Castle Garden and Battery Park by Barry Moreno (2007)
- Guide to the New York Aquarium by Charles H. Townsend (1919)
- The Public Aquarium by Charles H. Townsend (1928)
フィクションにおけるキャッスル・ガーデン/キャッスル・クリントン
- Castle Garden by Bill Albert(小説)
- The Penguin Pool Murder by Stuart Palmer(1931年の小説)
- Penguin Pool Murder (1932年の映画)
- The Alienist by Caleb Carr (小説)
- Deus Ex (コンピュータゲーム)
- アメリカ物語 (アニメ映画)
- The Land Whale Murders
- Crysis 2(コンピュータゲーム)
音楽におけるキャッスル・ガーデン/キャッスル・クリントン
- Wolfe Tonesの1993年のアルバムAcross the Broad Atlantic[6]
脚注
- ^ National Park Service (13 March 2009), "National Register Information System", National Register of Historic Places, National Park Service
- ^ 『ララチッタ ニューヨーク(2020年版)』出版社:JTBパブリッシング、p.22
- ^ About.com, Castle Garden - America's First Official Immigration Center
- ^ The New York Times, 15 June 1897, Fire on Ellis Island
- ^ Author: Caro, Robert A. The power broker: Robert Moses and the fall of New York. New York, Knopf, 1974. ISBN 0-394-72024-5
- ^ "For the ship will play with pitch and toss--for half a dozen farthings, I'll roll me bundle on me back, and walk to Castle Gardens."
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、キャッスル・クリントンに関するカテゴリがあります。
- Castle Clinton National Monument, Official site
- Castle Clinton from GORP
- The Battery Conservancy
- CastleGarden.org, 1892年以前にニューヨークに上陸した移民は1330万人という統計がある
キャッスル・ガーデン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 22:23 UTC 版)
「バッテリー・パーク」の記事における「キャッスル・ガーデン」の解説
公園内には、米英戦争の直前、海岸から離れた小さな島に建てられたアメリカの砦であり、市長・デウィット・クリントンに因んで名付けられたクリントン城がある。バッテリー・パークが建設されたとき、その土地に島は取り囲まれ、公園の一部となった。 アメリカ合衆国国立公園局のデータによれば、クリントン城は最も人気の国立公園となっている。自由の女神像とエリス島へのフェリーが出発する場所でもあるクリントン城は、2009年に408万人の観光客を記録した。 砦は戦争後、市の名物となり、キャッスル・ガーデンに改名された。砦は市によって借りられ、人気のプロムナードとビアガーデンになった。その後、砦はアメリカ合衆国の最初の劇場の1つとなり、国の劇場の中心として、ニューヨーク市の発展に大きく貢献した。 「ニューヨークのクリッパーが荷積みを終えた後、船はイースト川を下り、流行の行楽地、バッテリー・パーク沖に錨をおろすという習慣があった。船は、数時間、乗組員が乗船したり、5トンか10トンの火薬をのせるために停泊していた。クリッパー船が出発するのを見るため、バッテリー・パークに集まった人々は、水夫たちが舟歌を歌うのを聞くのが楽しみだった。これは、モービルやニューオーリンズの黒人荷役が不足したことにより、19世紀初めに始まった。船が成果を上げ、潮だるみの航路の情報を収集するとき、港湾労働者と機関手がホワイトホール・ボートの中へなだれ込む。バッテリー・パークの群衆は、3つに分けた喝采をあげ、旗が沈んで、クリッパー船はホーン岬への航路を進んでいった。」 19世紀、多くのヨーロッパの中流階級の人々が移住するのと同時に、市の上流階級が山の手へと移っていった。移民がバッテリー地区に移住すると、その位置により観客が減り、キャッスル・ガーデンは閉鎖された。その後、建物は、1855年に始まる何百万人もの移民を受け入れ、世界初の移民収容所となった。約40年後、この後継にあたるエリス島がオープンした。この期間の移民の波は、アイルランドのジャガイモ飢饉(アイルランド飢饉とも呼ばれる)や、他のヨーロッパの出来事が原因である。これ以降、取り壊しの危機にあった建物は、1940年代までニューヨーク水族館を収容した。建物は現在、再びもともとの名前によって知られており、アメリカ合衆国国立公園局によって管理されるナショナル・モニュメントである。砦は、リバティ島とエリス島へのフェリーのチケット売り場となっており、ときどき歴史の展示やコンサートが行われる。
※この「キャッスル・ガーデン」の解説は、「バッテリー・パーク」の解説の一部です。
「キャッスル・ガーデン」を含む「バッテリー・パーク」の記事については、「バッテリー・パーク」の概要を参照ください。
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