移民の波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 23:08 UTC 版)
ウルグアイは、その隣国であるアルゼンチンと同様にスペイン系の言語的、文化的な背景をもつ。さらに、アルゼンチン人と同様に、ほとんどのウルグアイ人は植民地時代のヨーロッパからの入植者や移民の子孫であり、およそ90%がヨーロッパ系の子孫である。その大半はスペイン人とイタリア人であり、フランス人、ポルトガル人、ルーマニア人、ギリシャ人、ドイツ人、イギリス人(イングランド人やスコットランド人)、アイルランド人、ポーランド人、スイス人、ロシア人、ブルガリア人、アラブ人(主にレバノン人とシリア人)、セファルディー・アシュケナジーのユダヤ人、そしてアルメニア人などが続く。数は少ないが日系人、そして、チャルーア族、ミヌアノ族(英語版)、チャナ族、グエノア族、グアラニー族などのアメリカインディアンも存在する。 モンテビデオは、アルゼンチンのブエノスアイレスやブラジルのリオデジャネイロのように、ヨーロッパからやってくる船を迎える主要な港であり、ヨーロッパからの入植者はウルグアイがより西洋的文化を受け入れていくよう影響を与えた。ヌエバエルベシア(英語版)というスイスの植民地(Nueva Helvecia-Colonia Suiza)や、コロニアヴァルデンス(Colonia Valdense)というピエモンテ州のワルドー派の植民地のような多くの植民地は、コロニア県に位置する。そしてコンチリャス(英語版)やバーカー (ウルグアイ)(英語版)のような、イギリス人入植者によって創られた都市もある。リオ・ネグロ県にはサンハビエル(英語版)と呼ばれるロシアによる植民地がある。その上、リオネグロ県には、ガーテンタル(英語版)やエルオンブ(英語版)のようなメノナイト植民地もある。エルオンブはよく知られたドゥルセ・デ・レチェの会社"claldy"で有名で、ヤング市(英語版)(リオネグロ県の中心地)の近くに位置する。 ヨーロッパ系の多くの移民が19世紀後半にウルグアイに到着し、モンテビデオやその他主要な都市の建築や文化に大きな影響を及ぼした。従って、モンテビデオやモンテビデオでの生活は、ヨーロッパを深く偲ばせるものがある。 近年はシリア内戦に伴うシリアからの難民を受け入れている。
※この「移民の波」の解説は、「ウルグアイ人」の解説の一部です。
「移民の波」を含む「ウルグアイ人」の記事については、「ウルグアイ人」の概要を参照ください。
- 移民の波のページへのリンク