移民の激減
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 13:59 UTC 版)
1960年2月10日入港の「あめりか丸」から翌年3月24日入港の「さんとす丸」まで、26隻の移民船がサントスへ入港し、2,339名(477家族)が移民の家を利用した。しかし、ブラジルへの日本移民の数は1959年をピークに減少しており、それに比例して移民の家を利用する移民の数も減っていった。移民の出迎え人、日本へ帰国する者とその見送り人等に利用されることも多々あったが、移民の利用者数は減少する一方であった。1969年、移民の家の運営は日本移民援護協会から海外移住事業団に返還され、宿泊所として一部を一時的な収容者のために使用されるようになった。1971年5月、サンパウロ市に援協厚生ホームが完成すると移民の家に入居していた人々はそこへ移され、移民の家には管理人一家が住むだけの活動休止状態となった。
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