アーティスト・シンガーとしての活動
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「伊津美敬」の記事における「アーティスト・シンガーとしての活動」の解説
高校時代にギターボーカルとしてバンド、THE1:1(ザタイマン)を結成。地口県宇部市のライブハウスを拠点に活動しYAMAHAコンテストでも受賞。福岡県北九州市や広島市内などの活動を行う。 途中、兵庫県姫路市に移住し、矢沢永吉の著書成り上がりに触発され、夜行バスで単身上京。小金井市や多摩地区にて生活、音楽スタジオなどでのアルバイトを行いソロワークでの活動を経てロックバンド 未成年を結成。独学でマネジメント知識を習得、自主レーベル OFFICE TEENAGEを設立。バンドではリーダー・ボーカル&ギタリストを務める。 サウンドプロデューサー松隈ケンタを迎え、LOFT RECORDS(ロフト (ライブハウス))、SPACE SHOWER MUSICよりアルバム2枚をCD・デジタル配信にてリリース。都内を中心としたライブ活動に加え国内でのライブツアーを行う。中村敦 (ミュージシャン)、横道坊主、鈴木慎一郎、KAZUKI Classics(LUCA)等のアーティストと共演。後にメンバー脱退による活動休止を経て、解散。 ソロアーティスト 伊津美 昴 IZUMI SUBARU としても活動開始。SPACE SHOWER MUSICよりデジタル配信にてリリース。ケーブルTV J:COM(ジュピターテレコム)音楽番組 J:HEAVEN(MC:緒方豊和)エンディングテーマを担当。矢沢永吉主催のバックバンドオーディションへの参加や、YouTube上で長渕剛の名曲しゃぼん玉をカバーし歌い再生回数30万回を超える。 バンド・ソロワークでの音楽的な共通性として、ロック、J-POP、エレキギター・アコースティックギターを基調とした楽曲構成であり、歌唱や作詞に関して「生きることへの衝動や葛藤など、生々しいほどのメッセージ性を持ったリリックを、時に叫び、時に神妙に歌い、言葉に生命を与えていく。」とCDジャーナルにて評されている。 中学時代 - X JAPANのライブビデオ破滅に向かってをきっかけにバンド活動を始める。また、当時週刊少年マガジンに掲載されていた松本大治のバンド漫画DESPERADOも音楽活動においてバイブルとなっている。音楽活動を始めた当初の担当パートはギターであった。 高校卒業後、単身で兵庫県姫路市に拠点を移し、ライブハウスレストラン 姫路ケントスで働きながら路上での弾き語りなどを行っていた。 2000年 - 矢沢永吉の著書 成り上がりに影響を受け単身、夜行バスで単身上京。 2006年 - インディーズバンド 未成年 を結成と同時に自主レーベル OFFICE TEENAGE を設立。 2010年 - 1st ALBUM masurawo をリリース。同時に日本国内にてリリースツアーを開始。同ツアー終了後に間も無く再び国内ツアーを行う。 2011年 - 2nd ALBUM Peterpan Syndrome をリリース。同時に日本国内にてリリースツアーを開始。ツアー終了後メンバー脱退により活動休止。 2012年 - ソロアーティスト 伊津美 昴 IZUMI SUBARU として活動開始。シングル「沈没船の船長より」をデジタル配信リリース(J:COMの音楽情報番組J:HEAVENのエンディングテーマ)。シングル「クリスマスには俺のもとへ帰って来いよー!」を配信リリース(テレビ朝日musicる 冬うたバトル2012ノミネート)。バンド結成以前に制作されたアルバム「はじまりにカーテンコール」を配信リリース。 2013年 - シングル「1は100」をデジタル配信リリース(J:COMの音楽情報番組J:HEAVENのエンディングテーマ)。同年11月、未成年を解散。8年間の活動に幕を下ろす。 2014年 - アルバム「FROM CONCRETE JUNGLE」をデジタル配信リリース。その直後、音楽活動を休止を発表。療養期間を経て裏方、プロモーターとしての活動で再起。 2021年 - 自身のInstagramにてアーティスト活動再開を発表。ミュージックビデオ「YES YES YES」をデジタル配信リリース。
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