アンタント・クーデター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 05:04 UTC 版)
「インドシナ銀行」の記事における「アンタント・クーデター」の解説
フランスは大不況とアフリカ分割と清仏戦争を同時展開した。インドシナ銀行はじり貧を抜け出せなかった。目先の決済にピアストルを集めるが、しかしピアストルは値崩れしていく。その裏で鉱業と金属に事欠かぬロスチャイルド、これと組んで米英仏の電力を握ろうとするJPモルガン、そして彼らが電解精錬であふれさせる銀貨。インドシナ銀行のパリ割引銀行代表者は、同行の発券業務を頼みに世界閨閥へ挑み続けた。1885年4月1日にハイフォンで支店を開き、また5月15日の株主総会で役員会は、植民地という発券市場の拡大に対して無上の期待を述べた。この年、流出にめげずフランス・ピアストルを鋳造するようになった。一昨年夏から特権更新も催促していた。しかし放置された。1885年12月に検討が再開されて、翌年1月にまた交渉が中断した。このときソシエテ・ジェネラルがトンキン・安南における発券特権の獲得をめざしていた。このトンキンは植民地省ではなくて外務省の管轄であった。外務大臣がポール・ベールを総務長官とし、同氏がソシエテ・ジェネラルの代理人エドモン・ルコペに銀行特権を与えた。ソシエテ・ジェネラルは代理人から得た特許をフランス政府に追認させようと走り回った。こうしてインドシナ銀行の交渉が中断されたのである。根回しは1887年秋に発覚して、インドシナ銀行はトンキンへの特権拡大を一層強く主張するようになった。植民地省としては白黒つけるわけにもゆかず、仲良くしてくれという行政指導をして、11月4日と12月8日に両行間で相互に覚書を交換させた。その骨子は2項目で、まずインドシナ銀行がソシエテ・ジェネラルに2人分の役員枠を与えるというものと、さらに8,000の新株を発行し半分をソシエテ・ジェネラルに譲るというものであった。それが数字どおり対等を意味するものであったならば、これから述べるような急展開はなかったであろう。 覚書の交換がすんでから特権更新をめぐる交渉が再開された。1888年2月20日の大統領デクレにより更新が果された。その骨子は3項目であった。まず特定の支店・出張所設置の義務。次に特権を有す営業圏の拡大。これら2項目においてはニューカレドニアへの進出が必至であった。最後の項目は特権の有効期間を定め、1895年1月21日から10年延長するとした。1888年7月前半に行われた新株引き受けは、明細の分かる資料が残っていない。ともかく、ソシエテ・ジェネラルは同年8月4日にオクタヴ・オンベルグを役員会へ送り込んだ。1889年3月初頭、パリ割引銀行が銅・錫投機に失敗し払い戻しができなくなった。インドシナ銀行は、この渦中にあって自殺したダンフェール・ロシュロー(Eugène Denfert-Rochereau)と引責辞任者2名、計3人の指導的役員を失った。そしてパリバとソシエテ・ジェネラルの人材が地位についた。そしてパリバ出身のソッテルが、パリ割引銀行の次なるコルレス先として、オタンゲル(フランス語版、英語版)、マレ、ベルヌ、エーヌ、アンドレ・ヌフリーズ、ゴーゲルの6行とユニオン・バンク(Union Bank of London、現ナショナル・ウエストミンスター銀行)を頼ることとし、5月16日に役員会の承認を得た。これは植民地大臣公認のコルレス銀行でなくてはならないとする定款19条に反していた。6月26日にソシエテ・ジェネラルとパリバが植民地大臣に公認されてからも、列挙したオートバンク6行との信用契約も、ユニオン・バンクとのそれも、打ち切られなかった。パリ割引銀行は、インドシナ銀行、ソシエテ・ジェネラル、商工信用銀行、パリバ、クレディ・リヨネが信用保証したフランス銀行のベイルアウト140万フランにより清算された。そしてパリ国民割引銀行(CNEP)へ改組された。1890年5月14日、インドシナ銀行はCNEPとの間に業務関係を開くとともに、新銀行頭取で元フランス銀行総裁のドゥノルマンディーと新銀行役員のメルセをインドシナ銀行の役員会へ迎え入れた。1891年、銀価格が奈落へ落ちてインドシナ銀行の資本金を元にした利益率が底を打った。1892年6月15日、ドゥノルマンディーはインドシナ銀行の頭取に推された。インドシナ銀行の役員会は1896年初頭に再び拡大し、クレディ・リヨネが代表を出すようになった。そしてフランスは三国干渉で広州湾へ進出する一方、ファショダ事件ではイギリスに遠慮するような不自然さを呈した。世界は極東を置き去りにして、そのまま金本位制に傾いていった。
※この「アンタント・クーデター」の解説は、「インドシナ銀行」の解説の一部です。
「アンタント・クーデター」を含む「インドシナ銀行」の記事については、「インドシナ銀行」の概要を参照ください。
- アンタント・クーデターのページへのリンク