滑川のネブタ流し
名称: | 滑川のネブタ流し |
ふりがな: | なめりかわのねぶたながし |
種別1: | 風俗習慣 |
保護団体名: | 中川原、常盤町一区・二区・三区 |
指定年月日: | 1999.12.21(平成11.12.21) |
都道府県(列記): | 富山県 |
市区町村(列記): | 滑川市 |
代表都道府県: | 富山県 |
備考: | 7月31日 |
解説文: | 滑川のネブタ流しは、眠気や穢れを海に送り出す行事で、かつては中川原【なかがわら】から高月町にいたる海岸沿いの町内の多くで行われていたが、現在では中川原と常盤町【ときわちよう】一区・二区・三区の四町内だけになっている。 中川原では町内の人たちが直前の日曜日などに集まってネブタを作る。青竹を芯に周囲に藁を入れて莚でくるみ荒縄で縛って作る。大人用と子ども用があり、大人用は高さが四~六メートル、径が下部で七〇-八〇センチメートル、上部で三〇-四〇センチメートルほど、子ども用はこれよりも小ぶりに作る。三十一日に、大人用のものを和田の浜に据え付け、色紙で作った服を着せ目鼻を刻んだナス、キュウリなどの飾りものを胴体に刺し、先端部に青竹を刺して準備を終える。子ども用のものは午後一時ころに櫟原【いちはら】神社禊【みそぎ】場に据え付け、服を着せたナスやキュウリの飾りものを刺す。二時ころに禊場で始まる茅【ち】の輪【わ】くぐりの神事が終わると、午後五時ころ子どもたちとその父兄がネブタを持って出発し、「ネブタ流され、朝おきれ」とはやしながら町内を練り歩き和田の浜に向かう。和田の浜につくと護岸の上に据え付け、点火して海に流し出す。 常盤町一区・二区・三区のネブタの作り方はほぼ同様であるが、二区は中に籐くずを入れ、まわりを薦で包んで作っている。作る数は参加者の数や材料によって異なるという。ネブタの大きさは、高さが三~六メートル、径が七〇~八〇センチメートルくらいである。先端には一区・二区・三区ともに紅白の御幣を刺す。三区は御幣とともに花火を刺し、火をつけて海に流し出したときに花火が打ち上がるようになっている。 現在、四地区のネブタはすべて和田の浜にそろい、市長が各ネブタに点火して海に流しているが、かつてはそれぞれの地先の浜で町内の長老が点火した後流していた。町内の男たちはネブタとともに海に入り、燃え尽きるまで木枠のまわりで泳いでおり、燃え方が悪くなると、用意しておいた鎌でネブタを縛った荒縄を切って燃えがよくなるようにする。ネブタ流しのときに海に入ると一年間息災で暮らせるという伝承もあり、女も波打ち際まで入ったという。かつては燃え尽きたネブタはそのまま沖合に流していたが、現在では木枠に付けた命綱を引いて浜に引き上げ回収している。 滑川のネブタ流しは、柳田國男が「眠流し考」の中で「目を転じてさらに日本海側の、北よりの地方を見ていくと、爰にはやや比較を可能ならしめるほどに相接近した事例がある。現在知られている南の端は、越中滑川のネムタ流し。これは人形をこしらえて海に流す行事で、その際に子どもが水を浴び、又、ネブタ流され、朝おきゃれ といふ唱えごともあるといふのだが、其期日は今は七月三十一日である。」と記しているように、日本海側におけるネムタ流しの南限を示す行事であることが知られている。また、この日を境に昼寝をしてはならないとも伝承されている。周辺地域にはコウヤあるいはオショウライと呼ばれる小屋やタイマツを作って川原で燃やす七夕行事が分布しており、このネブタ流しも盆を迎える行事の一つであると考えられる。滑川は現在知られているなかでは日本海側における南限を示す例であり、富山県内ではこの地域だけで行われている地域的特色を示す貴重な行事である。 |
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