「源平合戦」という呼称についてとは? わかりやすく解説

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「源平合戦」という呼称について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:16 UTC 版)

治承・寿永の乱」の記事における「「源平合戦」という呼称について」の解説

治承・寿永の乱は、源平合戦(または「源平の戦い」)と呼ばれることも多い。この争乱以仁王の「平氏追討」の令旨に始まること、平氏政権から頼朝政権鎌倉幕府)に交代したこと、民間レベルでは『平家物語』『源平盛衰記』などの影響から清盛宗盛平氏一門頼朝義経義仲源氏一門争い受け取られてきたことなどが、この呼称生んだといえる。 しかし、平氏政権反旗を翻した勢力源氏一族のみで構成されていたわけではなく単純に源氏平氏争いとは言えない。この乱には熊野勢力興福寺園城寺などの寺社勢力が反平氏掲げて蜂起し内乱前期においては北陸在地豪族義仲とは別個に挙兵)や九州在地豪族など源平という氏族無縁勢力数多く蜂起している。また、この争乱は、一族家族地域共同体という横の絆と、主君家臣という縦の絆の相克があり、命を懸けて戦った武士の全て源氏平氏という特定氏族収斂されるわけでもないまた、源氏平氏皇族から分岐した家系であり、当然ながら非武士の貴族層にも多数源氏平氏がおり、当時源氏長者いわゆる源氏一族トップ)も非武士の貴族である(武士源氏長者になるのは、後世足利義満からである)。非武士の源氏平氏が、それぞれ武士の源氏平氏直接的間接的に加担援助したという記録一切存在しないし、関与する動機存在しない。 つまり、源平合戦呼称想起されるような、源氏平氏それぞれの一族糾合して戦った訳ではないのである確かに武田信義木曾義仲など、反平氏掛け声のもとに挙兵をした源氏一族は多い。しかし、源氏一族属していても、平氏に縁(ゆかり)や義理があって同族弓を引いた者もいた。このことは平治の乱において、摂津源氏源頼政河内源氏源義朝とは完全に別行動取っていることからもうかがえる。野木宮合戦頼朝義仲争い義仲と行家の争いなど源氏内部での戦いもこの一連の内乱含まれる同時に蜂起した源氏であったがそれらが全て最初から源頼朝指揮下にいたとは限らないのである。更に源義朝頼朝父子源氏嫡流であったというのは鎌倉幕府の成立と言う結果論から成立したものであり、実際河内源氏複数流れ分かれて単独嫡流存在する状態ではなく河内源氏代表する武者であった源義家後継限定したとしても、大蔵合戦保元の乱で父や弟を討ってその地位得た源義朝後継者である頼朝だけではなく大蔵合戦討たれ源義賢後継者である義仲や、義朝義賢の弟である行家もその地位主張できる存在であった源氏同士平氏同士が争う現象日本各地見られた。父系見れば源氏だが、母系見れば平氏、またはその逆という武将も少からずいて、去就苦慮した者や、一族2つ分かれて争った者もいる。一族相克物語戦国時代に多いが、この時代に既に始まっている。武士発生当初から血縁要素よりも地縁的要素の強い集であったが、この乱は日本を一層の地縁社会へと導くことになった

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