「準元老」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:59 UTC 版)
首相を退任した大隈は、同志会・中正会・大隈伯後援会を合同させた政党の総裁就任を依頼されたが断っている。以降は演説などは行わず、新聞上での評論活動を主な活動としている。大正7年(1918年)9月19日には、寺内首相の後継首相について天皇から下問があり、大隈は西園寺公望を推薦した。しかし西園寺が辞退したため、加藤高明を推薦した。しかし山縣有朋、松方正義、西園寺公望が原敬を奏薦したため、原が首相となった。山縣はなおも大隈を元老に加えることを模索していたが、大隈自身が元老集団に入りたがらなかったことと、松方と西園寺が反対したため正式な元老とならなかった。しかしこの頃の新聞報道では大隈を元老視したり、「準元老」として扱った報道も見られる。
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