「帰ってきたドンキーカルテット」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 20:25 UTC 版)
「ドンキーカルテット」の記事における「「帰ってきたドンキーカルテット」について」の解説
1984年10月7日から1985年9月29日までの1年間に渡り、日本テレビで放送されたレオナルド熊がメインのバラエティ番組『WAッ!熊が出た!!』の約10分間コーナー枠の「帰ってきたドンキーカルテット」で、小野ヤスシとジャイアント吉田の2人が主になって往年の音楽コントやトーク、書き下ろしの演芸を披露している。 ジャイアント吉田はYouTubeに自身の公式チャンネルを設け、この番組を家庭用ビデオテープを用いて放送当時に録画し、現在まで保管されている番組の一部を公開していた。番組が放送されてから既に40年近くが経過しているが、ビデオテープの保存状態や画質は比較的良好であった。 ドンキーカルテットのメンバーの内、祝勝と猪熊虎五郎の2人は都合のため不定期の出演だったが、カントリー・アンド・ウエスタン時代の飯塚文雄、岩倉忠ら関係深いミュージシャンにアコーディオン奏者・横森良造などの個性的なゲストが出演している。 小野と吉田のほかには猪熊・岩倉・横森にレオナルド熊、キーボードの担当にシゲ・堂本、ドラムスの担当にジョニー高田。他には出雲ミノル、西ヒトシ、やまだマサ、バラクーダ、ローサリー・アンサンブルなども出演した。 コント・演芸の素材は、収録された1985年頃に人気だったフリオ・イグレシアス、活動後半期のエルヴィス・プレスリーなどを取り上げた。第2回目以降の約10分間は、番組とは別々の特別コーナーにして小野・吉田ら出演者が様々な楽器を用いて自慢の演奏を披露し、小野の往年の十八番芸でもある「一発ぶちかましてご覧に入れます」から始まり、ジャイアント吉田の「ひどいなぁに、自身の小さな身長に対して突っ込まれ、それをボケで交わす自虐ネタ」、猪熊虎五郎の特徴的な裏声のような奇声」、祝勝が担当していた「舞台進行を完全に無視して、黙々と一人で勝手に食べ続けてしまっている弁当」に、メンバーが全員で「終いには仲間割れをしてしまい、言い争いと小競り合いとなり収拾付かなくなるドタバタコント」と、その定番でもある一斗缶・金だらい芸などを復活させ、当時の懐かしいコントをほぼ忠実に再現。ゲストミュージシャンの参加から「ドンキーカルテット」を展開させた音楽コントを披露し、更にはナイトクラブやジャズ喫茶でこの演芸ショーと、エレキ・インストロメンタルバンドとしてダンス伴奏を務めていた片鱗が伺える。 映画出演を除いて、ドンキーカルテットの全盛期時代の演芸出演映像は、1982年ポニーキャニオンからVHSビデオで発売された「東京ギャグ列伝〔下〕」以外はこれまでほとんど保存されておらず、更に当時の資料や台本なども残されている事も無く、保管もされていない。出来る限り音楽や会話などの雰囲気をほぼ忠実に再現、復元した「帰ってきたドンキーカルテット」では、戦後の日本芸能と1950年代の洋楽ポップス・全盛期時代である往年のコミックバンドを垣間見ることが出来るため、昔懐かしく充実とした内容となっている。
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