「帰属」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:11 UTC 版)
主題に関連して安部は、「民主主義の原理というものをとことん突き詰めてみると、意外と全員が箱男になってしまう」と述べ、「デモクラシーの極限というものがどういうものであるか、人間がそれに本当に耐え得るのかどうか。今だいたいデモクラシーというと非常にやわな、なまくらなもののようにいわれていますが、それを極限までいくと、なかなかやわでない、非常に厳しいものだという感じがしてくる」としている。 また安部は、人間の歴史は「帰属」をやわらげる方向に進みながらも、「最終の帰属として国家」は破られないが、それへの「帰属自身」が問われているとしつつ、「帰属というものを本当に問いつめていったら、人間は自分に帰属する以外に場所がなくなる」とし、「ぼくにとってそれが書くということのモチーフだけれど、特に今度の書下ろし『箱男』では、それを極限まで追いつめてみたらどうなるかということを試みてみたわけだ」と説明し、主題に関連して以下のように語っている。 都市には異端の臭いがたちこめている。人は自由な参加の機会を求め、永遠の不在証明を夢みるのだ。そこで、ダンボールの箱にもぐり込む者が現われたりする。かぶったとたんに、誰でもなくなってしまえるのだ。だが、誰でもないということは、同時に誰でもありうることだろう。不在証明は手に入れても、かわりに存在証明を手離してしまったことになるわけだ。匿名の夢である。そんな夢に、はたして人はどこまで耐えうるものだろうか。 — 安部公房「著者のことば」(『箱男』函表)
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