「カイロ宣言」と光復
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第二次世界大戦末期の1943年12月1日、フランクリン・ルーズベルト米国大統領、ウィンストン・チャーチル英国首相そして中華民国(国民政府)の蔣介石により、「カイロ宣言」が発表された。そこには、日本が「満州、台湾、澎湖島のごとき日本国が中国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還する。」ことが述べられていた。それまで中国共産党は戦後の台湾の帰属について態度が明確でなかったが、このカイロ宣言にて英米が対日戦勝利後の台湾の帰属について意思を明確にしたことにより、中国共産党も態度を明確にした。これにより中国主要政治勢力が台湾を中国の一部とするとようやく決まった。ここに台湾は「光復」されるべき土地となったのである「光復」とは中国語の古い言葉で固有のものを回復すること、とりわけ失われた国土の回復を指す。そして、米、英、ソ三国の指導者が7月26日に発表したポツダム宣言には、日本が前記「カイロ宣言」を誠実に履行することを求めていた。
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