「カアン」号
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次代のグユクがローマ教皇インノケンティウス4世に宛てた1246年11月上旬の日付けを持つ親書がバチカンに現存するが、書簡中でグユクは祖父チンギス・カンと自らを「 جنكيز خان Chingiz khān(チンギス・ハン)」と「 خان khān(ハン)」とそれぞれ称しており、父オゴデイには「 قاآن Qā'ān(カアン)」という称号で呼んでいる。同様の書き分けは1260年に書かれたジュワイニーの『世界征服者史』や14世紀初頭のラシードゥッディーンの『集史』などのモンゴル帝国時代のペルシア語資料にも見られ、さらに華北の漢語やウイグル文字、クビライ治世以降のパスパ文字などによるモンゴル語碑文資料にもこの種の書き分けが見られる。しかしモンケ以後クビライ家の独占するところとなったチンギス・ハン家の宗主である「モンゴル皇帝」=ハーン位にあった全ての人物は「 Qā'ān(カアン)」の称号で呼ばれている。オゴデイはモンゴル皇帝で「カアン」号を称した最初の人物と目される。オゴデイ治世中に華北の全真教や仏教寺院などに建立された碑文には「窩闊台皇帝」以外に、「哈罕皇帝/合罕皇帝」(カアン皇帝)とも書かれており、父のチンギス・カンが「成吉思皇帝」、息子のグユクも「谷由皇帝」と名前がそのまま音写されて呼ばれたことと対照的に、「カアン」単独で呼ばれている。
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