「太政官指令」が出されるまでの近代的地図の島名とは? わかりやすく解説

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「太政官指令」が出されるまでの近代的地図の島名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 07:15 UTC 版)

竹島外一島」の記事における「「太政官指令」が出されるまでの近代的地図の島名」の解説

架空の島 鬱陵島現在の竹島1787年天明7年フランス航海ラ・ペルーズ鬱陵島発見しフランス軍学校教授ジョセフ・レポート・ダジュレー(フランス語版)(Joseph Lepaute Dagelet)にちなみ命名 Dagelet 1789年 イギリス探検家ジェイムズ・コルネット(英語版)(James Colnett) が実在しない位置に島を記入し船名島名に。 Argonaut 1811年文化8年アロー・スミス(Arrow Smith) の図 Argonaute Dagelet (図外) 1815年文化12年イギリス地図学者ジョン・トムソン(英語版)(John Thomson) の地図COREA AND JAPAN.」 Argonaute Dagelet (記載なし) 1817年文化14年イギリス地図JAPANArgonaute Dagelet (記載なし) 1835年天保6年ウォーカー(J.C.Walker)の地図JAPANArgonaute Dagelet (記載なし) 1840年天保11年シーボルト地図「JAPANISCHEN REICHE日本図 Takasima / Argonaute Matsusima / Dagelet (記載なし) 1847年弘化4年) マルゾロ(B.Marzollo)の地図 Argonaute Dagelet (記載なし) 1849年嘉永2年フランス船 Liancourt号によって発見される。この船名命名 Liancourt Rocks 1855年 ヴィルヘルム・ハイネ地図 Argonautenicht vorhanden DageletMatsusima Hornet 1855年 コルトン地図 ジョーゼフ・コルトン(英語版)(Joseph Hutchins Colton) Taka simaArgonaute Matsu simaDagelet (記載なし) 1855年 イギリス海軍地図 Argounaut.I P.D. Dagelet.I Hornet 1857年安政アメリカ艦隊ペリー提督の図。「JAPAN ISLANDS」 (記載なし) I.Matsusimaor Dagelet (記載なし) 1858年安政アメリカ艦隊ペリー提督の図。W.L.モーリーS.ベント大尉によって編纂。「中国沿岸日本列島地図」 Argonautenicht Vorhanden MatsusimaDagelet Hornet 1863年文久イギリス海軍地図 Tako sima or Argounaut P.D. Matu sima(Dagelet) Liancourt Rks.HornetMenelai & Olivutsa 1867年慶応) 「大日本国沿海略図勝海舟 竹嶋 松島 リエンコヲルトロック 1868年 ジェイムズ・ワイルド(James Wild) の図 Argonaute I.1789 MatsusimaI.Dagelet Hornet Is. 1868年 明治政府誕生 1870年明治3年官許 大日本四神全図 橋本玉蘭シマ シマ リユンコヲルトローック 1872年明治5年ウェラー(E. Weller) の地図 Argonaute Dagelet Hornet 1872年明治5年) Stieler's Hand Atlasドイツ) (記載なし) Matsu sima(Dadelet I.) Liancourt I.Hornet I. 1872年明治5年大日本府県全図 ウチダシンセイ 竹島 松島記載なし) 1873年明治6年) L'Empire du Japon Take I. Matsou I.記載なし) 1874年明治7年官許 大日本支那朝鮮北畠茂兵衛竹島 松島記載なし) 1875年明治8年朝鮮全図(陸軍参謀局竹島 松島 (図外) 1875年明治8年亜細亜東部輿地図陸軍参謀局竹嶌 松島記載なし) 1876年明治9年朝鮮全図 陸軍参謀局 竹嶌 松島 (図外) 1876年明治9年朝鮮東海岸図 海軍水路寮 アルゴナフタ島 柗()島 オリウツ礁メ子(ネ)ライ1877年明治10年日本全図 文部省出版 宮本三平竹島 松島記載なし) 1877年明治10年太政官指令1787年フランス航海ラ・ペルーズ鬱陵島発見し、ダジュレー島(Dagelet)と名づけ地図記載する2年後1789年イギリス探検家ジェイムズ・コルネット(英語版)(James Colnett)も鬱陵島発見したが、測量ミスにより鬱陵島朝鮮半島の間の位置アルゴノート島(Argonaute)として地図描いてしまう。以後西洋地図では実在しないアルゴノート島と鬱陵島を表すダジュレー島が描かれる1840年天保11年)、日本住んでいたシーボルトオランダへ帰国後に日本地図発行するが、実在しない位置に「Takasima / Argonauteと書いた島を描き鬱陵島位置に「Matsusima / Dagelet」と書いた島を描かく。この二つの島には経緯度記され、「Matsusima / Dagelet」には正確な鬱陵島緯度と経度記される。この地図にはまだ西洋人には発見されていない現在の竹島描かれていない。つまり日本古地図にある「竹島鬱陵島)」「松島現在の竹島)」を 実在しないアルゴノート島と、鬱陵島を表すダジュレー島に当てはめてしまったのであるその後西洋日本近代的地図には全てこれらの島を同じ島名書くことになる。

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