「太政官指令」が出されるまでの近代的地図の島名
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「竹島外一島」の記事における「「太政官指令」が出されるまでの近代的地図の島名」の解説
架空の島 鬱陵島現在の竹島1787年(天明7年) フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島を発見し、フランス軍艦学校の教授ジョセフ・レポート・ダジュレー(フランス語版)(Joseph Lepaute Dagelet)にちなみ命名 Dagelet 1789年 イギリスの探検家ジェイムズ・コルネット(英語版)(James Colnett) が実在しない位置に島を記入し船名を島名に。 Argonaut 1811年(文化8年) アロー・スミス(Arrow Smith) の図 Argonaute Dagelet (図外) 1815年(文化12年) イギリスの地図学者ジョン・トムソン(英語版)(John Thomson) の地図「COREA AND JAPAN.」 Argonaute Dagelet (記載なし) 1817年(文化14年) イギリスの地図「JAPAN」 Argonaute Dagelet (記載なし) 1835年(天保6年) ウォーカー(J.C.Walker)の地図「JAPAN」 Argonaute Dagelet (記載なし) 1840年(天保11年) シーボルトの地図「JAPANISCHEN REICHE」 日本図 Takasima / Argonaute Matsusima / Dagelet (記載なし) 1847年(弘化4年) マルゾロ(B.Marzollo)の地図 Argonaute Dagelet (記載なし) 1849年(嘉永2年) フランス船 Liancourt号によって発見される。この船名を命名 Liancourt Rocks 1855年 ヴィルヘルム・ハイネの地図 Argonautenicht vorhanden DageletMatsusima Hornet 1855年 コルトンの地図 ジョーゼフ・コルトン(英語版)(Joseph Hutchins Colton) Taka simaArgonaute Matsu simaDagelet (記載なし) 1855年 イギリス海軍の地図 Argounaut.I P.D. Dagelet.I Hornet 1857年(安政) アメリカ艦隊ペリー提督の図。「JAPAN ISLANDS」 (記載なし) I.Matsusimaor Dagelet (記載なし) 1858年(安政) アメリカ艦隊ペリー提督の図。W.L.モーリーとS.ベント両大尉によって編纂。「中国沿岸と日本列島の地図」 Argonautenicht Vorhanden MatsusimaDagelet Hornet 1863年(文久) イギリス海軍の地図 Tako sima or Argounaut P.D. Matu sima(Dagelet) Liancourt Rks.HornetMenelai & Olivutsa 1867年(慶応) 「大日本国沿海略図」 勝海舟 竹嶋 松島 リエンコヲルトロック 1868年 ジェイムズ・ワイルド(James Wild) の図 Argonaute I.1789 MatsusimaI.Dagelet Hornet Is. 1868年 明治政府誕生 1870年(明治3年) 官許 大日本四神全図 橋本玉蘭 竹シマ 松シマ リユンコヲルトローック 1872年(明治5年) ウェラー(E. Weller) の地図 Argonaute Dagelet Hornet 1872年(明治5年) Stieler's Hand Atlas(ドイツ) (記載なし) Matsu sima(Dadelet I.) Liancourt I.Hornet I. 1872年(明治5年) 大日本府県全図 ウチダシンセイ 竹島 松島 (記載なし) 1873年(明治6年) L'Empire du Japon Take I. Matsou I. (記載なし) 1874年(明治7年) 官許 大日本及支那朝鮮図 北畠茂兵衛 他 竹島 松島 (記載なし) 1875年(明治8年) 朝鮮全図(陸軍参謀局) 竹島 松島 (図外) 1875年(明治8年) 亜細亜東部輿地図(陸軍参謀局) 竹嶌 松島 (記載なし) 1876年(明治9年) 朝鮮全図 陸軍参謀局 竹嶌 松島 (図外) 1876年(明治9年) 朝鮮東海岸図 海軍水路寮 アルゴナフタ島 柗(松)島 オリウツ礁メ子(ネ)ライ礁 1877年(明治10年) 日本全図 文部省出版 宮本三平著 竹島 松島 (記載なし) 1877年(明治10年)太政官指令1787年フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島を発見し、ダジュレー島(Dagelet)と名づけ地図に記載する。2年後の1789年イギリスの探検家ジェイムズ・コルネット(英語版)(James Colnett)も鬱陵島を発見したが、測量ミスにより鬱陵島と朝鮮半島の間の位置にアルゴノート島(Argonaute)として地図に描いてしまう。以後、西洋の地図では実在しないアルゴノート島と鬱陵島を表すダジュレー島が描かれる。1840年(天保11年)、日本に住んでいたシーボルトがオランダへ帰国後に日本地図を発行するが、実在しない位置に「Takasima / Argonaute」と書いた島を描き、鬱陵島の位置に「Matsusima / Dagelet」と書いた島を描かく。この二つの島には経緯度が記され、「Matsusima / Dagelet」には正確な鬱陵島の緯度と経度が記される。この地図にはまだ西洋人には発見されていない現在の竹島は描かれていない。つまり日本の古地図にある「竹島(鬱陵島)」「松島(現在の竹島)」を 実在しないアルゴノート島と、鬱陵島を表すダジュレー島に当てはめてしまったのである。その後西洋や日本の近代的地図には全てこれらの島を同じ島名で書くことになる。
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