「太極旗」という名称の発生と浸透
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「大韓民国の国旗」の記事における「「太極旗」という名称の発生と浸透」の解説
韓国政府(行政自治部 や国家記録院)は太極旗の国旗制定について「(李氏朝鮮は)王命で「太極・四掛の絵柄」の「태극기」(太極旗)を国旗に制定・公布した」と説明しているが、朝鮮王朝実録(高宗実録)を始めとする当時の李氏朝鮮・大韓帝国の史料は太極旗を「国旗」(국기)と記すのみで、少なくとも公的には「太極旗」という表現は用いられていなかった。 「太極旗」という名称が用いられるのは、三・一運動の時が最初と韓国ではみられている。1919年1月21日の高宗の急死後、国葬が行われる同年3月3日に向けた独立運動が計画されるようになり、同年3月1日に「独立宣言」書の読み上げと旧大韓帝国国旗の掲揚を行うことになった。だが、当時旧国旗は「朝鮮国旗」(조선국기)と呼ばれていたが、旗を準備するにあたって「朝鮮国旗」という呼称を用いると日本人に独立運動の動きが発覚する恐れがあった。その為、日本人に分かられないようにする目的で旧国旗の名称を「朝鮮国旗」から「太極旗」へと変えたとされる。 その後、「太極旗」という名称は朝鮮独立運動と共に関係者の間で浸透し、1942年 に大韓民国臨時政府が初めて朝鮮の国旗を「太極旗」と表現した。そして、1948年7月12日に韓国の独立準備をしていた大韓民国制憲議会が韓国の国旗を「太極旗」とすることを決定し、李氏朝鮮の旧国旗に由来する旗の名称は正式に「太極旗」となった。以降、韓国の国旗は「太極旗」であると、「国旗製作法」(1949年- 2007年)及び「大韓民国国旗法」(2007年 -)で明記されている。
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