「レッド・パワー」の理論支援
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「ヴァイン・デロリア・ジュニア」の記事における「「レッド・パワー」の理論支援」の解説
1970年、ヴァインはコロラド大学で法律学位を取得し、これを基にインディアンの部族や共同体の生得権を援助するプログラムを始める。これは法律顧問組織と連携を図り、法律面でインディアンを支える試みであり、ヴァインは大学の講義と著作で、教育による実現を試み始めた。 同年、ワシントン州立西ワシントン大学の民族学講師となる。その後、客員教授としてカリフォルニアの太平洋宗教学校、新宗教学校、コロラド大学で講師を務め、インディアンの権利についての講義を行った。またワシントン州立大学で教師を務める間、ヴァインはワシントン州で地元部族や「全米インディアン若者会議」が起こしたインディアンの漁猟権保護運動に関わり、連邦政府と州を相手取ったインディアン条約違反に対する集団訴訟に取り組んで、インディアンの漁獲権を支持した歴史的な「ボルト判決」を助けた。 ヴァインは「貧困に対する市民十字軍」、「ミネソタインディアン総務会議」、「先住民族の権利に関する全米事務所」、「インディアン法律開発研究所」、「インディアン人権協会」といった人権団体と幅広く関係を持ち、1970年から1978年まではコロラドの「インディアン法律開発研究所」の議長を務めている。その後もヴァインはさまざまな著作でインディアンの権利について訴えているが、一貫しているのは「条約を基本とした合衆国との対等な立ち位置での、インディアン部族の自決」である。同年発表した、二冊目の著作『We Talk, You Listen,New Tribes, New Turf』や『God Is Red: A Native View of Religion』(1994年) を始め、キリスト神学者であるヴァインは、インディアンの精神文化を理解しようとしないキリスト教会に対する批判も数多く行っている。 1974年、「ウーンデッド・ニー占拠」に対する連邦訴追裁判で、AIMのデニス・バンクスとラッセル・ミーンズを弁護して証言台に立つ。インディアン運動家らによる直接的抗議行動に、理論的な支援を行ったヴァインを評した言葉に、次のようなものがある。「ヴァインは現代のインディアン戦争の時代に現れた優れた哲学者であり、レッド・パワー運動に独自の哲学を反映させた」 1977年より、「国立アメリカ・インディアン博物館」の役員を務める。1978年、アリゾナ大学で思想科学教授に就任し、1990年まで在職した。ヴァインはこの大学でインディアン研究におけるマスター課程を確立し、これは合衆国初の快挙となった。また、1990年からコロラド大学の教授に復帰、2000年までこれを務めた。晩年はインディアンの権利に合わせ、環境問題について提起し続けた。 2005年11月13日、自宅のあるコロラド州ゴールデンで、大動脈瘤破裂で死去。72歳だった。生涯で20を超える著作を行っている。受賞歴多数。
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