「レバノン、シリア」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 03:57 UTC 版)
「フリードリヒ・ローゼン」の記事における「「レバノン、シリア」」の解説
1890年3月29日、副領事を任せられたベイルートへの赴任のため旅券を受け取りに外務省へ赴く途中、帝国宰相府を去るオットー・フォン・ビスマルクを目撃している。また当時のヨーロッパ情勢に関する自身の見解もこの章で述べている。4月14日、ウィーン経由でトリエステから船に乗り込みアレクサンドリアへ上陸、数日間をカイロで過ごした。4月28日の朝ベイルート郊外に着く。赴任後レバノン山脈、アンティ・レバノン山脈を越えてシリアの都ダマスカスを訪れている。ベイルート赴任後11か月余りでベルリン外務省からの発令でテヘランに赴くよう命じられる。
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