「シルバーアロー」の復活(1989年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「「シルバーアロー」の復活(1989年)」の解説
C9(1989年ル・マン仕様) C9(1989年短距離仕様) 4月、この年の世界スポーツプロトタイプカー選手権の開幕戦の開催地である鈴鹿サーキットに、ザウバーはシルバーのカラーリングが施されたC9を持ち込み、前触れなく「シルバーアロー」が復活した。 この年はC9も熟成され、ザウバー・メルセデスがポルシェ、ジャガーといったライバルたちを圧倒し、全8戦の選手権で7勝を収め、ザウバーは同選手権に参戦して初のチームタイトルを獲得した。ドライバーもジャン=ルイ・シュレッサーがドライバーズチャンピオンとなり、ランキングの2位から4位も全てザウバー・メルセデスのドライバーで独占した。 選手権外のレースとして開催されたこの年のル・マン24時間レースは、1-2フィニッシュで制覇し、メルセデス・ベンツとしては1952年以来37年ぶりとなるル・マン優勝を果たした。 「シルバーアロー」復活の理由 C9のカラーリングは開幕前の発表会の時点では前年とほぼ同様の黒いAEGカラーであり、開幕戦で銀色に変更された理由は、ダイムラー・ベンツ社副社長でモータースポーツ推進派のヴェルナー・ニーファーの個人的意向だと表向きは説明された。しかし、実際の事情としてはマーケティング部門と宣伝部門の要請によるものであり、ダイムラー・ベンツはこの年の6月に乗用車部門を「メルセデス・ベンツ社」(Mercedes-Benz AG)として独立させる予定だったため、同社の確固たるアイデンティティを示すために行われた施策だった(同社の初代社長にはニーファーが内定していた)。 C9/89の開発 レオ・レスは、1988年型C9(C9/88)の時点でル・マン以外の「短距離」のレースではC9の性能に自信を持っていたことから、1989年型C9(C9/89)の開発では、24時間レースのル・マンに照準を合わせた開発を行い、ル・マンに合ったロードラッグ仕様の開発を重点的に行った。これにより、L/D値(揚抗比)などの値で、当時最高と信じられていたジャガー・XJR-8と同等の空力性能を持つまでになった。 この年の大きな変更はエンジンである。前年のM117HL-C9エンジンの開発にあたって、2バルブとするより4バルブにしたほうが燃焼効率の点で圧倒的に優れることが判明していた。その時は導入が見送られたが、1989年型C9の開発にあたって、市販車用のM119エンジン(英語版)の開発ともリンクする形で、4バルブ・DOHCの「M119HLツインターボエンジン」が開発された(排気量は従来通り4,973cc)。熟成に時間を要したものの、4月の開幕戦の時点で、前年の2バルブ・SOHCのM117HLを上回り、決勝で約700馬力、予選では過給圧を高めて925馬力程度の出力を発揮することが可能となった。低回転から大きなトルクを発生するこのエンジンは、この年のC9にとって強力な武器となる。 こうした改良と動力性能の向上により、この年のル・マンのユノディエールでC9/89は最高時速400㎞超えを記録した。
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