シルバーアローの復活(1954年 - 1955年)
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Clip W196R(1955年オランダGP) 第二次世界大戦後、メルセデスチームは再結成され、1954年からF1に参戦した。戦前と同じく監督ノイバウアー、開発ウーレンハウトという体制となり、F1用に開発したW196(W196R)を擁して、7月の第4戦フランスグランプリでF1に初参戦する。ドライバーは1951年のチャンピオンだったファン・マヌエル・ファンジオがシーズン途中にマセラティから移籍し、カール・クリング、ハンス・ヘルマンを加えた3名で初年度に臨む。 デビューレースでメルセデスはファンジオとクリングの1-2フィニッシュと、ヘルマンのファステストラップという手早い成功を収めた。このデビューレースを含め、ファンジオは同年にメルセデスで参戦した6戦中4勝を挙げ、1954年のチャンピオンを獲得した。2位のフロイラン・ゴンザレス(フェラーリ、25.14ポイント)に対しては大差であり、メルセデスで獲得したポイントだけでもチャンピオンの獲得には充分なものだった。 同じ車両を使った1955年シーズンも成功は続いた。この年は若きスターリング・モスが加わり、前年に圧勝こそしたものの熟成不足な部分も多かったW196に修正を加えて挑み、ファンジオとモスで参戦した6戦中5勝を挙げ、シリーズランキング1位と2位を占めた。 しかし、レース活動に費やしていた予算と人員があまりにも大きな負担となっていたことから、1955年限りでレース活動から手を引いた。(→撤退)
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