大和国
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大和国の合戦
- 645年:乙巳の変、中大兄皇子・中臣鎌足 x 蘇我入鹿・蘇我蝦夷
- 672年:壬申の乱、大海人皇子軍 x 大友皇子軍
- 1181年:南都焼討、平家軍(平重衡) x 東大寺・興福寺
- 1455年:第一次筒井城の戦い、畠山義就・越智連合軍 x 筒井順永
- 1466年:第二次筒井城の戦い、畠山義就 x 筒井順永
- 1477年:第三次筒井城の戦い、越智家栄 x 筒井順尊
- 1483年:第四次筒井城の戦い、古市氏・箸尾氏軍 x 成身院順盛軍
- 1516年:第五次筒井城の戦い、越智家教・古市氏連合軍 x 成身院順盛軍
- 1565年:第六次筒井城の戦い、松永久秀軍 x 筒井順慶軍
- 1565年:第七次筒井城の戦い、筒井順慶軍 x 松永久秀軍
- 1567年:東大寺大仏殿の戦い、松永久秀・三好義継・三好三人衆軍 x 筒井順慶・池田勝正軍
- 1568年:信貴山城の戦い、筒井順慶・三好三人衆軍 x 松永久秀軍
- 1568年:第八次筒井城の戦い、松永久秀軍 x 筒井順慶軍
- 1571年:辰市城の合戦、筒井順慶軍 x 松永久秀・三好義継軍
- 1577年:信貴山城の戦い、織田軍(織田信忠・筒井順慶・明智光秀・細川藤孝・佐久間信盛・羽柴秀吉) x 松永久秀軍
- 1615年:大坂夏の陣、江戸幕府軍(徳川家康・徳川秀忠) x 豊臣軍(豊臣秀頼)
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 29 奈良県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
注釈
- ^ 国史に改名記事がないため時期は諸説あるが、天平宝字元年(757年)の『養老令』施行からが有力視される(上田正昭『私の日本古代史(上)』(新潮選書)pp. 142-143)。
- ^ 『和名抄』の大和国式下郡大和郷(おおやまとごう)、現在の大和神社(奈良県天理市新泉町)付近(『日本歴史地名体系 奈良県の地名』(平凡社)大和国節より)。
- ^ 「旧高旧領取調帳」では後に大多喜県が管轄したとしているが、三河国にも飛地のあった大多喜藩は、慶応4年の徳川宗家の転封より領地を上総国夷隅郡にまとめられているため、同時に奈良県に移管されたものと思われる。
- ^ 同年4月27日(1868年5月19日)にかけて移管。
- ^ 現在の橿原市大軽町と石川町の接点丈六、ここを軽の衢という。久米町、西池尻/東池尻、高取町土佐の三説ある。
出典
- ^ a b c d 『日本歴史地名体系 奈良県の地名』(平凡社)大和国節。
- ^ 大和国(藩名・旧国名がわかる事典)(朝日新聞社コトバンクより)。
- ^ 『続日本紀』天平9年(737年)12月27日条。
- ^ 『続日本紀』天平19年(747年)3月16日条。
- ^ 『日本古代史大辞典』(大和書房)大和国項。
- ^ 上田正昭『私の日本古代史(上)』(新潮選書)pp. 140-142。
- ^ 【秀吉と大和の城(2)】大阪の“副都”担った「郡山城」…秀吉の命受け弟・秀長が統治、強力な寺社勢力抑え100万石規模に(2/2ページ)産経WEST(2014年1月2日)
- ^ 『和名類聚抄 20巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)12コマ参照。
- ^ 『拾芥抄 3巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)52コマ参照。
- ^ 『節用集 易林本』(国立国会図書館デジタルコレクション)136コマ。
- ^ 『日本中世国家と諸国一宮制』(2009年)索引p. 7。
- ^ 『日本中世国家と諸国一宮制』(2009年)p. 41。
- ^ 今谷明「室町時代の伝馬について」(小笠原長和 編『東国の社会と文化』(1985年、梓出版社))
- ^ 永島福太郎『奈良文化の伝流』(1944年、中央公論社)
- ^ 田中慶治「室町期大和国の守護に関する一考察 -幕府発給文書を中心に-」(初出:矢田俊文 編『戦国期の権力と文書』(高志書院、2004年) ISBN 978-4-906641-80-2/所収:田中『中世後期畿内近国の権力構造』(清文堂、2013年) ISBN 978-4-7924-0978-4)
- ^ 今谷明「室町時代の河内守護」(『大阪府の歴史』7号、1976年)
- ^ 今谷明「守護領国制下に於ける国郡支配について」(『千葉史学』創刊号、1982年)
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