国巣とは? わかりやすく解説

くず【×栖/国巣/×樔】

読み方:くず

《「くにす」の音変化

古代大和吉野川上流山地にあったという村落また、その住民宮中節会(せちえ)に参り、贄(にえ)を献じ、笛を吹き口鼓(くちつづみ)を打って風俗歌奏した。くずびと。

古代常陸(ひたち)国茨城郡住んでいた先住民。つちくも。やつかはぎ。

「—、名は寸津毘古(きつひこ)、寸津毘売(きつひめ)」〈常陸風土記

[補説] 曲名別項。→国栖


くに‐す【国×栖/国巣/国×樔】

読み方:くにす

「くず(国栖)」に同じ。

「—らが春菜つむらむ」〈万・一九一九〉


国巣

読み方:クズkuzu

記紀で、大和国吉野川上流山地住んだとされている部族


国巣

読み方:クズkuzu

能の一種

別名 国栖国樔


国栖

(国巣 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 10:17 UTC 版)

国栖(くず、くにす)とは大和国吉野郡[1]常陸国茨城郡[2]に居住したといわれる先住民[1][2]である。国巣国樔とも書く。

概要

大和国

古事記神武天皇の段には、国神イワオシワクノコを「吉野国巣之祖」とする。また『日本書紀応神天皇 19年の条によれば、応神天皇が吉野宮へ行幸したときに国樔人が来朝し、醴酒(こざけ)を献じて歌を歌ったと伝える。同条では人となり淳朴で山の菓やカエルを食べたという。交通不便で古来から外部との接触が稀であったため古俗を残し、大和朝廷から珍しがられた[3]。その後、国栖は何度も来朝しては栗・年魚(あゆ)などの産物を御贄(みにえ)に貢進し風俗歌を奉仕したようで、『延喜式』では宮廷の諸節会や大嘗祭において吉野国栖が御贄を献じ歌笛を奏することが例とされている。

常陸国

常陸国風土記』には同国の国巣は「つちくも」「やつかはぎ」とも称したとある[3]

「―、名は寸津毘古(きつひこ)、寸津毘売(きつひめ)」〈常陸風土記〉

とある。

末裔

末裔には坊官として聖護院に仕えた世古雷がいる[4]

参考

国栖(くず)とは

脚注

関連項目

  • 国栖奏:奈良県吉野郡吉野町南国栖の浄見原神社(きよみはらじんじゃ)で、毎年旧暦1月14日に奉納される歌舞。

外部リンク



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