カフーとは? わかりやすく解説

カフー

名前 Cafu

カフー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/29 04:25 UTC 版)

カフー
2019年のカフー
名前
本名 マルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエス
Marcos Evangelista de Moraes
愛称 il Pendolino
右サイドの支配者
ラテン文字 Cafu
基本情報
国籍 ブラジル
イタリア
生年月日 (1970-06-07) 1970年6月7日(55歳)
出身地 サンパウロ
身長 176cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF(RSB)
利き足 右足
ユース
1988-1990 サンパウロ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1994 サンパウロ 219 (35)
1994-1995 サラゴサ 16 (0)
1995 ジュヴェントゥージ 2 (0)
1995-1997 パルメイラス 75 (7)
1997-2003 ローマ 163 (5)
2003-2008 ミラン 119 (4)
通算 594 (51)
代表歴
1990  ブラジル U-20 1 (1)
1990-2006[1] ブラジル 143 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カフー(Cafu)ことマルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエスMarcos Evangelista de Moraes, 1970年6月7日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンパウロ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはディフェンダー

「カフー」はニックネームで、1970年代に活躍したカフリンガ (Cafuringaという名前のサッカー選手に由来する。長らく活躍したイタリアでは特急列車を意味する「イル・ペンドリーノ(il Pendolino)」という異名で呼ばれたこともあった[2]史上最高の右サイドバックとも評され、2020年に右サイドバックの歴代1位としてバロンドール・ドリームチームに選出された[3]

経歴

クラブ

初期

7歳の頃にはナショナル・アトレチコ・クルーベ英語版でプレーしていた[4]。1983年から1987年にかけて、SEパルメイラスサンパウロFCコリンチャンスなどのトライアウトで9回連続不合格になった[4]。 1988年、18歳の時、サンパウロFCのプリマベーラとの試合で活躍、これが目に留まり、サンパウロの下部組織に入団した[4]。入団後にサイドバックにコンバートされ、1989年にトップデビューを果たした[4]。1992年、トヨタカップでは、FCバルセロナを破り優勝、1993年、トヨタカップACミラン戦ではパリ―ニャの先制ゴールをアシストし[5]、大会連覇に貢献するなど活躍した。1994年、レアル・サラゴサに優勝への切り札と期待されて移籍するも[6]、攻撃を警戒され、対戦チームに厳しくマークされ[6]、加入後出場した数試合でチームは勝利出来ないなど[6]、レアル・サラゴサでは目立つ活躍が出来ず、1年で退団し、再び地元ブラジルに帰国し、SEパルメイラスに移籍することになる。

ASローマ

1997年、イタリアセリエAの強豪ASローマに移籍。すぐに適応し、キープレーヤーの一人になり、ファンからペンドリーノ(右サイドの支配者)というニックネームを付けられた[4]。1998年4月11日のインテル戦でセリエA初得点を決めた[4]。2000-01シーズンには、ASローマの18年ぶりとなるスクデット制覇に貢献するなど主力として活躍、218試合に出場8ゴールをあげた[2]

ACミラン

ACミラン時代

33歳となった2003年夏にはASローマを退団し、Jリーグ横浜F・マリノスへの入団合意が伝えられたが[7][8][9]、最終的には違約金を横浜FMに支払う形で、ACミランがカフーを獲得した[10]。ACミラン移籍後は右サイドバックのレギュラーとしていきなり2003-04シーズンのACミランのスクデットに貢献するなど、主力としての変わらぬ活躍を見せることになる。また、この年にペレの選んだ偉大なサッカー選手100人、「FIFA 100」に選ばれている。

2004-05シーズン、チャンピオンズリーグ決勝では、リヴァプールに延長PKで敗れた[4]。2006-07シーズン、チャンピオンズリーグ決勝では、出場機会は無かったものの、優勝を果たした[4]。2007-08シーズン、クラブワールドカップ決勝のボカ戦では、後半途中から出場、現役生活最後のタイトルを獲得した[4]。シーズン終了後、ACミランとの契約満了に伴い退団と同時に現役引退。2008年5月18日、現役最後の試合となった、ウディネーゼ戦で1得点を決めた[4]

引退後は、指導者には転身せず、夫人と共にスポーツ代理店を経営するなど実業家となった。

ブラジル代表

1990年9月12日のスペイン戦で代表デビューを果たした[11]。その後の1994年のワールドカップでは3試合に出場[11]、決勝のイタリア戦では、試合中のジョルジーニョの故障に伴い、途中交代で[12]、優勝に貢献した。以後、代表のレギュラーとしての地位を確立し、1998 FIFAワールドカップでは決勝で開催国フランスに敗れ連覇を逃したが、出場停止になったオランダ戦以外の6試合に出場、グループリーグ第2戦のモロッコ戦ではリバウドのゴールをアシストした[11]

2002 FIFAワールドカップではキャプテンとして全試合に出場し、優勝に貢献した。

2006年のドイツ大会ではグループリーグ初戦のクロアチア戦でカカのゴールをアシスト[11]、ラウンド16のガーナ戦ではアドリアーノのゴールをアシストし[11]、準々決勝まで進むが、フランス戦で破れ敗退。

ドイツW杯後は、元ブラジル代表ドゥンガが代表監督に就任し、同監督の構想から外れたことや、年齢のこともあり、これ以後代表招集されることは無かった。

代表通算キャップ数は142を数えており、これはブラジル代表における歴代最多記録である。また、1994年、1998年、2002年、2006年の4度のFIFAワールドカップに出場しているが、このうち2006年を除く3回はいずれも決勝まで進んでおり(優勝2回、準優勝1回)、決勝戦の試合出場を3度経験した唯一の選手である。

エピソード

  • サッカー界きっての"ガム好き"を公言している[13]
  • セリエAにおいて、最も嬉しかったのは、ASローマ時代のスクデットだと答えている[14]
  • 2019年9月、友人や息子のダニーロとサッカーで遊んでいたところ、試合中にダニーロが昏倒。カフー自ら病院へ搬送したが、30歳という若さでそのまま帰らぬ人となった。ダニーロは元々、冠動脈硬化症を患っており、数日後に手術を受ける予定だった。

個人成績

所属クラブ シーズン 番号 リーグ戦
出場 得点
1990 サンパウロ 2 20 2
1991 20 1
1992 21 1
1993 18 1
1994 16 2
1994-95 サラゴサ 16 0
1995 パルメイラス 19 0
1996 16 0
1997 0 0
1997-98 ローマ 31 1
1998-99 20 1
1999-00 28 2
2000-01 31 1
2001-02 27 0
2002-03 26 0
2003-04 ミラン 28 1
2004-05 33 1
2005-06 19 1
2006-07 24 0
2007-08 15 1
通算 428 15

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 143試合 5得点(1990年-2006年)[15][1]


ブラジル代表 国際Aマッチ
出場 得点
1990 3 0
1991 10 0
1992 2 0
1993 12 0
1994 7 1
1995 5 0
1996 3 0
1997 20 0
1998 12 2
1999 12 1
2000 10 1
2001 6 0
2002 12 0
2003 7 0
2004 9 0
2005 8 0
2006 5 0
通算 143 5

タイトル

代表

クラブ

サンパウロFC

ASローマ

ACミラン

個人

脚注

  1. ^ a b “Marcos Evangelista de Morais "CAFU" - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. https://www.rsssf.org/miscellaneous/cafu-intl.html 
  2. ^ a b “Cafu”. ASRoma. https://www.asroma.com/en/news/2020/5/history-makers-cafu 2021年3月12日閲覧。 
  3. ^ Ballon d'Or Dream Team : Découvrez les révélations de ce onze de légende !”. France Football. 2020年12月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j Marcos Evangelista Cafu, l'eterno 'Pendolino' della fascia destra”. GOAL (2023年1月7日). 2023年8月18日閲覧。
  5. ^ 週刊サッカーダイジェスト・メモリアルアーカイブ その3――1993年12月29日号”. soccerdigestweb.com. 2020年7月31日閲覧。
  6. ^ a b c 週刊サッカーダイジェスト 1995年3月15日 no.256号 p.182-185 日本スポーツ企画出版社
  7. ^ “Calcio, procuratore Cafu: no a Giappone anche per Sars”. la Repubblica. 2015年11月27日閲覧.
  8. ^ “Calcio, Roma: Cafu dalla prossima stagione in Giappone”. la Repubblica. 2015年11月27日閲覧.
  9. ^ “Cafu, addio Roma per il difensore offerta dal Giappone”. la Repubblica. 24 January 2003. 2015年11月27日閲覧.
  10. ^ カフーの横浜M入り消滅”. 47NEWS (2003年6月6日). 2012年8月19日閲覧。
  11. ^ a b c d e “Cafu National team”. www.transfermarkt. https://www.transfermarkt.co.uk/cafu/nationalmannschaft/spieler/5937 2020年4月17日閲覧。 
  12. ^ “Brazil-Italy Jul17 1994 Match sheet”. www.transfermarkt. https://www.transfermarkt.co.uk/spielbericht/index/spielbericht/936193 2020年4月17日閲覧。 
  13. ^ 欧州通信. “プレー中にガムを噛むのはあり?”. 2007年7月5日閲覧。
  14. ^ goal.com. “カフー:「セリエで最も嬉しかったのはローマでのスクデット」”. 2008年5月22日閲覧。
  15. ^ カフー - National-Football-Teams.com

外部リンク


カフー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 14:17 UTC 版)

幻魔大戦シリーズの登場人物一覧」の記事における「カフー」の解説

【映画】地球壊滅作戦最高司令官。カフー超能力研究所の所長外見にこやかに笑う壮年男性コミック版におけるシグと同じ役どころで、同様に東三千子残留思念焼かれて一旦倒されるが、火竜となりルナ達を追い詰める。しかし東丈超能力「絶対零度」により滅ぶ

※この「カフー」の解説は、「幻魔大戦シリーズの登場人物一覧」の解説の一部です。
「カフー」を含む「幻魔大戦シリーズの登場人物一覧」の記事については、「幻魔大戦シリーズの登場人物一覧」の概要を参照ください。

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