アジウソン・ディアス・バティスタとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アジウソン・ディアス・バティスタの意味・解説 

アジウソン・ディアス・バティスタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 13:00 UTC 版)

アジウソン
名前
本名 アジウソン・ディアス・バティスタ
Adilson Dias Batista
ラテン文字 ADILSON
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1968-03-16) 1968年3月16日(57歳)
出身地 クリチバ
身長 183cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF, MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988 アトレチコ-PR 20 (1)
1989-1993 クルゼイロ 48 (4)
1993 インテルナシオナル 11 (2)
1994 アトレチコ-MG 19 (2)
1995-1996 グレミオ 30 (2)
1997-1999 ジュビロ磐田 52 (10)
2000 コリンチャンス 5 (0)
通算 195 (21)
代表歴
1990-1991 ブラジル 4 (0)
監督歴
2001 モジミリン
2002 アメリカ-RN
2002-2003 アヴァイ
2003 パラナ・クルーベ
2003-2004 グレミオ
2004 パイサンドゥ
2005 スポルチ・レシフェ
2005-2006 フィゲイレンセ
2006-2007 ジュビロ磐田
2008-2010 クルゼイロ
2010 コリンチャンス
2010-2011 サントス
2011 アトレチコ-PR
2011 サンパウロ
2012 アトレチコ-GO
2013 フィゲイレンセ
2013-2014 ヴァスコ・ダ・ガマ
2015 ジョインヴィレ
2018 アメリカ・ミネイロ
2019 セアラー
2019-2020 クルゼイロ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アジウソン・ディアス・バティスタ(Adilson Dias Batista, 1968年3月16日 - )は、ブラジルパラナ州クリチバ出身のサッカー選手、指導者。現役時代のポジションはディフェンダーミッドフィールダーブラジル代表にも選出された経歴を持つ。

選手経歴

1990年代のグレミオなどで、守備の中心として活躍したDF、ヘディングの強さは守備だけでなく攻撃においても大きな武器となっていた[1]。グレミオではパラグアイ代表カタリーノ・リバローラと強靭なセンターバックを形成[1]、キャプテンとして、リーダーシップを取り、1995年チームをリベルタドーレスカップ優勝に導いた[1]。同年のインターコンチネンタルカップでは延長PK戦でアヤックスに敗れた。1996年に神戸で開催されたレコパ・スダメリカーナCAインデペンディエンテ戦では1得点を決めて優勝を果たした[2]

ファルカンが監督を務めていた1990年にはブラジル代表入りしたが[3]、以降代表には縁がなく(アジウソン本人によれば、サンパウロリオデジャネイロなどの都会のクラブに所属していない選手にはありがちなことだという)、代表に選ばれないことを惜しむファンからは南米代表のキャプテン」とも呼ばれた。[要出典]

アトレチコ・ミネイロ時代にもJリーグ入りの話を受けたが[1]、1997年にルイス・フェリペ・スコラーリジュビロ磐田の監督に就任するにあたり、監督を務めていたグレミオから連れてくる形でジュビロに入団、守備の要として活躍した[4]。磐田ではスコラーリによりボランチとして起用され、ドゥンガとコンビを組むこともあった。1997年4月12日のサンフレッチェ広島戦でデビューし初ゴールも決めた[5]。同年のJリーグカップ第2戦では2-0と鹿島にリードを許す中、PKのキッカーを務めたが、これを失敗したこともあり、チームは優勝を逃した[6]。チャンピオンシップ、鹿島アントラーズ戦では1stレグで3-2と勝利[7]、2ndレグでは押される展開の中でディフェンスラインで孤軍奮闘、鹿島のクロスをことごとく阻むなど、鹿島アントラーズの前に立ちはだかり、MVP級の働きを見せ[4]、1-0で勝利し[8]、優勝に貢献した[9]。しかし1998年秋に膝を痛め、翌1999年はその影響でファーストステージを欠場するなど[10]、試合出場が減り[11]、同年退団した。Jリーグでは1997年は22試合5ゴール、1998年は23試合5ゴールとDFながら高い得点率で、通算52試合10ゴールの成績を残した[5]

帰国後はコリンチャンスでプレーし、第1回世界クラブ選手権に優勝。しかし磐田時代に痛めた膝は完治せず、程なくして現役を引退。フェリペの元で指導者の道に進んだ。

指導者経歴

その後はモジミリンブラジル全国選手権3部から2部に昇格させるなど実績を積み、2003年9月から2004年6月まではグレミオの監督も務めた。フィゲイレンセ監督時代には問題児エジムンドをうまくコントロールし、彼ら主力が抜けた後は若手と移籍選手でうまく穴埋めし、ブラジル全国選手権でもなかなかの健闘を見せていた。

2006年6月22日に磐田監督に就任。当時Jリーグ最年少の監督であり、磐田で最年長の選手でかつてのチームメイトでもあった中山雅史よりも年下であった(学年は同じである)。新旧交代を求められた彼は、犬塚友輔上田康太らの若手選手を積極的に起用し、11位に低迷していたチームを5位にまで躍進するも、シーズン中に名波浩C大阪へとレンタル移籍。シーズン終了後には名波が東京Vへ再びレンタル移籍、服部年宏も同じく東京Vへ移籍、そして福西崇史FC東京へ移籍と、クラブを支えてきたベテラン選手たちが次々と磐田を去ることになった。

2007年も引き続き磐田を指揮。しかし守備が安定せずに大量失点での敗戦が目立つなどチームは迷走した。9月1日清水戦にロスタイムの失点で敗戦の翌日、まだ9位ではあったが辞任した。

帰国後の2008年より、クルゼイロ監督としてブラジルサッカーに復帰。チームを全国選手権上位に導くなど、ブラジル1部リーグで監督としてのキャリアを積んでいた。

エピソード

個人成績

クラブでの成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1988 アトレチコ-PR 20 1
1989 クルゼイロ 8 1
1990 15 1
1991 16 2
1992 9 0
1993
1993 インテルナシオナル 11 2
1994 アトレチコ-MG 19 2
1995 グレミオ 5 0
1996 25 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 磐田 4 J 22 5 11 3 0 0 33 8
1998 23 5 4 1 0 0 27 6
1999 J1 7 0 2 0 0 0 9 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2000 コリンチャンス 5 0
通算 ブラジル
日本 J1 52 10 17 4 0 0 69 14
総通算

その他の公式戦

代表での成績

出典[12]


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
1990 3 0
1991 1 0
通算 4 0

タイトル

選手

アトレチコ・パラナエンセ
クルゼイロ
グレミオ
ジュビロ磐田
コリンチャンス

指導者

アメリカ-RN
フィゲイレンセ
クルゼイロ
  • カンピオナート・ミネイロ: 2008, 2009

脚注

  1. ^ a b c d TOYOTA CUP 1995 16回大会 パンフレット p.41
  2. ^ Recopa 1995”. RSSSF. 2023年4月17日閲覧。
  3. ^ TOYOTA CUP 1995 16回大会 パンフレット p.16
  4. ^ a b 週刊サッカーマガジン 1997年12月31日 No.639 P.5-10
  5. ^ a b “アジウソン”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=2944 2020年4月17日閲覧。 
  6. ^ 週刊サッカーマガジン 1997年12月17日 No.637 P.5-7
  7. ^ “’97サントリーチャンピオンシップ 第1節第1日”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=3139 2020年4月17日閲覧。 
  8. ^ “’97サントリーチャンピオンシップ 第2節第1日”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=3140 2020年4月17日閲覧。 
  9. ^ 元磐田DF&監督のアジウソン氏、心臓発作で搬送 数日以内に手術へ…古巣も回復を祈る-フットボールゾーン
  10. ^ 週刊サッカーマガジン 平成11年6/16 p.9
  11. ^ 1997年最強! ジュビロ磐田、伝説の英雄5人。ドゥンガ、中山雅史、大神友明…黄金期の土台を築いた男たち-FC
  12. ^ アジウソン・ディアス・バティスタ - National-Football-Teams.com

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アジウソン・ディアス・バティスタ」の関連用語

アジウソン・ディアス・バティスタのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アジウソン・ディアス・バティスタのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアジウソン・ディアス・バティスタ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS