この項目では、サッカー選手について説明しています。ベトナムの町については「バドン (ベトナム) 」をご覧ください。
バドン (ポルトガル語 : Vadão )こと、オズバウド・フメイロ・アウバレス (ポルトガル語 : Oswaldo Fumeiro Alvarez 、1956年 8月21日 - 2020年 5月25日 )は、ブラジル ・サンパウロ州 モンテ・アズル・パウリスタ(ポルトガル語版 ) 出身の元プロサッカー選手 、サッカー指導者。
経歴
1992年 にモジミリンEC の監督に就任し、以後ブラジルの多くのチームで監督を続け、2001年 にはサンパウロFC で監督を務めた。
2005年 8月 にJ2降格の危機にあった東京ヴェルディ1969 の監督に就任。なお、当初は本名をカナ書きにしたオズワルド・アルバレス (前監督のオズワルド・アルディレス と一文字違いである)と記すメディアもあったが、ほどなく愛称のバドン に統一された。
監督に就任した8月の3試合は2勝1分けで乗り切り、J1残留に希望を抱かせたが、9月に入ると全く勝てなくなった。攻守が実にちぐはぐであり、1失点に抑えたが点が取れなくて負けた試合もあれば、4点取ったが4点取られて結局ドローに終わった試合もあった。この年チーム総得点の半数以上を稼いだワシントン が不調に陥ったのも響いた。
結局天皇杯 1試合も含めて13試合連続で勝ち星がないまま、11月26日 の柏レイソル 戦で1-5で大敗し、J2降格が決まった。J2降格の責任を取り、シーズン終了後辞任。
2006年 はAAポンチ・プレッタ に復帰し指揮を取ったが、5月途中に解任。
2014年から2016年、2017年から2019年にはサッカーブラジル女子代表 の監督を務め、2014年・2018年のコパ・アメリカ・フェメニーナ 、2015年のパンアメリカン競技大会サッカー競技 で優勝、2016年のリオデジャネイロオリンピック では4位となった[ 1] [ 2] [ 3] 。
2020年 5月25日 に肝臓がん で死去[ 2] 。63歳没。
^ 元監督 バドン氏 ご逝去のお知らせ 東京ヴェルディ
^ a b サッカー女子ブラジル代表のバドン元監督が死去 63歳 2005年には東京Vを指揮 スポーツニッポン、2020年5月26日
^ ブラジル女子代表前監督バドン氏が63歳で死去。2005年に東京ヴェルディも指揮 フットボールチャンネル、2020年5月26日
関連項目
外部リンク
ヴァレラ1988
エジウ1991
ピレス1991
アデマール1995
ドゥアルテ (pt ) 1996-98
ウィウシーニョ (pt ) 1999
ドゥアルテ (pt ) 2000
ゴンサウヴェス2001-03
シモンエス (en ) 2004
L.アントニオ2005
テイシェイラ 2006
バルセロス (pt ) 2006-08
クレイトン (pt ) 2009-11
バルセロス (pt ) 2011-12
M.オリヴェイラ2012-14
バドン 2014-16
リマ2016-17
バドン 2017-