ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/31 23:29 UTC 版)
|
|
この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。(2017年3月)
|
|
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バホス José Mário de Almeida Barros |
|||||
| ラテン文字 | Zé Mário | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
|||||
| 生年月日 | 1949年2月1日(74歳) | |||||
| 出身地 | リオデジャネイロ | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ゼ・マリオ(Zé Mário)こと、ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス(José Mário de Almeida Barros、1949年2月1日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
経歴
現役時代はCRフラメンゴやCRヴァスコ・ダ・ガマなどでプレーした。
監督としてはブラジル国内だけではなく、サウジアラビア、カタール代表監督など、西アジアでも多くの監督経験がある。1998年8月、鹿島アントラーズのテクニカルディレクターを務めていたジーコに請われ、鹿島の監督に就任し、2ndステージで優勝。Jリーグチャンピオンシップにも勝ち、前後期制のシーズンでは初めての年間王者に輝いた。
しかし1999年はリーグ開幕前恒例のゼロックス・スーパーカップには勝ったものの、ジョルジーニョの抜けた穴を埋めることが出来ず、その後は不振が続き、1stステージでは鹿島のクラブ史上初めてシーズンで負け越してしまう。2ndステージも開幕から4連敗を喫し、J2降格圏への転落もちらつき始めたことで、8月に鹿島フロントはゼ・マリオを解任[1]、後任には切札とも言えるジーコを総監督として現場指揮を執らせた。
所属クラブ
- 1970
ボンスセッソFC - 1971-1974
CRフラメンゴ - 1975
フルミネンセFC - 1976-1979
CRヴァスコ・ダ・ガマ - 1980-1982
アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス
指導歴
- 1982-1983
ボタフォゴFR - 1983
フィゲイレンセFC - 1984
セアラーSC - 1984
フェロヴィアリオAC - 1985
ECフラメンゴ - 1985
フィゲイレンセFC - 1986
イラク代表 - 1987
ゴイアスEC - 1988-1990
アル・アインFC - 1991
ゴイアスEC - 1992
アル・アラビ・ドーハ - 1992
アメリカFC - 1993
アル・アラビ・ドーハ - 1993-1995
アル・リヤド - 1995-1996
サウジアラビア代表 - 1996-1997
アル・アラビ・ドーハ - 1997
アル・サッド - 1998
鹿島アントラーズ - 1998
カタール代表 - 1999
鹿島アントラーズ - 2000-2001
SCインテルナシオナル - 2001-2002
グアラニFC - 2003
アル・イテファク - 2004
アル・シャバブ - 2005
フィゲイレンセ - 2006-2008
アル・ワスルFC - 2008-2009
アル・アラビ・ドーハ
関連項目
出典
- ^ 『ゼ・マリオ監督 解任について』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、1999年8月19日。 オリジナルの2000年12月7日時点におけるアーカイブ。2017年10月30日閲覧。
外部リンク
- ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス - Soccerway.com (英語)
- ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス - FootballDatabase.eu (英語)
- ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス - WorldFootball.net (英語)
- ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロス - J.League Data Siteによる監督データ
|
|
|---|
- ジョゼ・マリオ・ジ・アウメイダ・バロスのページへのリンク