アンデルソン・アンドラージ・アントゥネスとは? わかりやすく解説

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アンデルソン・アンドラージ・アントゥネス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 06:06 UTC 版)

アンデルソン
名前
本名 アンデルソン・アンドラージ・アントゥネス
Anderson Andrade Antunes
愛称 アンジー
ラテン文字 ANDERSON
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1981-11-15) 1981年11月15日(43歳)
出身地 イビチンガポルトガル語版
身長 179cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001 URT
2001 サモラCF
2002 シャペコエンセ
2003 キンゼ・デ・ピラシカーバ
2003 カンピネンセ・クルーベ
2003 アトレチコ・モンテ・アズル
2004 フェロヴィアリアAC
2005 フォルタレーザEC
2005 グレミオ・バルエリ
2006 水戸ホーリーホック 43 (17)
2007 サガン鳥栖 13 (2)
2007 清水エスパルス 1 (0)
2008 横浜FC 36 (16)
2009 リオ・ブランコ・アンドラダス 6 (0)
2009 アル・ザマレク
2009 ブルハスFC 9 (8)
2010 大邱FC 8 (2)
2010 ブルハスFC 9 (3)
2010-2011 ADバリオ・メヒコ 3 (1)
2011 バレッタFC 11 (3)
2011-2012 CSエレディアーノ 26 (6)
2012-2013 LDアラフエレンセ 23 (5)
2013-2014 デポルティーボ・ミクトラーン
2014-2016 ロアッソ熊本 10 (4)
2016-2017 ADムニシパル・リベリア 19 (3)
2017-2018 ADカルメリタ 10 (3)
2018-2019 ヌエバ・コンセプシオン
2019 ADRヒカラル
2019-2020 ADバリオ・メヒコ
2020 ADアセリ
2021 ムニシパル・ガラビト
通算 227 (73)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンデルソン・アンドラージ・アントゥネス(Anderson Andrade Antunes, 1981年11月15日 - )は、ブラジル出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

JリーグKリーグ時代の登録名はアンデルソンハングル: 안델손)[1][2]

経歴

ブラジルのURTでキャリアをスタートさせる。その後、メキシコサモラCFを経て2002年にブラジルのシャペコエンセへ加入。7ゴールを挙げ得点ランク2位と活躍するとともに、同チームのサンタカタリーナ州選手権2部優勝に貢献した。その後、ブラジルの複数クラブを経て2004年フェロヴィアリアポルトガル語版へ加入。16得点を挙げ得点王に輝くとともに同チームのパウリスタ州選手権セリエB1準優勝・セリエA3昇格に大きく貢献した。その後、フォルタレーザECを経てグレミオ・バルエリに加入。グレミオ・バルエリではサンタ・カリーナ州選手権優勝を経験した。

こうした活躍を認められ2006年水戸ホーリーホック期限付き移籍で加入。エースストライカーとして得点を量産し、特に5月6日コンサドーレ札幌戦では来日後初となるハットトリックを達成した。水戸ホーリーホック所属の選手がハットトリックを決めたのはこれが初めてであり[3]、チームの歴史にその名を刻むこととなった。また、6月2日横浜FC戦では堅守を誇っていた同チームから決勝ゴールを奪い、それまで横浜FCが維持していた新監督就任以来15戦負けなし、連続無失点時間770分という2つのJリーグ新記録をストップさせた。2006年はチーム最多の43試合に出場。水戸ホーリーホック所属選手のシーズン最多得点記録となる17得点を挙げ、得点ランク7位と大きな結果を残した。

その活躍から翌2007年はチーム初のJ1昇格を目指すサガン鳥栖へ完全移籍。古巣、水戸から移籍後初ゴールを奪うなどしたものの、昨年までのような活躍は出来ず伸び悩んだ。しかし、シーズン途中の6月にJ1・清水エスパルスからのオファーがあり期限付き移籍、日本のトップリーグでプレーする機会を獲得した。清水では5月に退団したFWアレシャンドレに代わる外国人FWとして期待されたが、出場1試合、出場時間はわずか1分と不本意な結果に終わり、シーズン終了後に退団が決定した。

2008年は2006年にJ2で17得点を挙げた実績を買われ、J2に降格したばかりの横浜FCへ移籍。シーズン序盤から得点を積み重ね、二度のハットトリックも達成するなどエースストライカーとしてチームを牽引した。5月終了の時点で12得点を挙げる活躍で一時は得点ランキング首位を独走するほどの勢いを見せたが、その活躍から相手選手の執拗なマークを受けるようになった6月以降は急激に失速。ボールを持ちすぎる悪癖が出るようになり、前半終了時に交代を命じられる試合もあるなど[4]、大きく調子を落とした。チームの昇格がなくなった第40節以降は先発の座を追われ、出場機会が減少。最終的にシーズン通算16得点を挙げ、チーム得点王となると同時に得点ランク6位という成績は残したものの戦力外通告を受け、2008年シーズン限りでの退団が決定した。

その後は国内外のクラブを転々としていたが、2014年夏にロアッソ熊本への加入が発表された。加入後は負傷離脱する時期があったが、7試合に出場し4得点を挙げる活躍をみせた。 2015シーズンも契約延長をしたが、2月20日に行われたトレーニングマッチ(結果や対戦相手は非公開)において右膝前十字靭帯断裂の重症を負い[5]、治療のためにコスタリカへ出国している。 復帰には1年程度かかる見込みで同シーズンの試合出場は絶望的となった[6]が、第40節に途中出場にて実戦復帰を果たした。 2016年シーズンも負傷がちなのは変わらず、わずか9試合の出場にとどまった。2016年9月30日に双方合意の上でのロアッソ熊本退団が発表された[7]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2001 URT
メキシコ リーグ戦 コパMX オープン杯 期間通算
2001 サモラ
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2002 シャペコエンセ
2003 キンゼ・デ・ピラシカーバ
カンピネンセ
モンテ・アズル
2004 フェロヴィアリア
2005 フォルタレーザ
グレミオ・バルエリ
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2006 水戸 9 J2 43 17 - 1 0 44 17
2007 鳥栖 13 2 - - 13 2
清水 33 J1 1 0 - 0 0 1 0
2008 横浜FC 9 J2 36 16 - 1 0 37 16
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
2009 リオ・ブランコ-MG
エジプト リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2009 アル・ザマレク
韓国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2010 大邱 8 2
コスタリカ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2010 ブルハス
メキシコ リーグ戦 コパMX オープン杯 期間通算
2010-11 バリオ・メキシコ
マルタ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2011 バレッタ
コスタリカ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2011-12 エレディアーノ
2012-13 アラフエレンセ
グアテマラ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2013-14 ミクトラーン
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2014 熊本 35 J2 7 4 - 0 0 7 4
2015 3 0 - 0 0 3 0
2016 9 9 2 - 2 0 11 2
通算 メキシコ
ブラジル
日本 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
日本 J2 111 41 - 4 0 125 41
エジプト
韓国
コスタリカ
メキシコ
マルタ
グアテマラ
総通算

タイトル

  • 2002年 サンタ・カリーナ州選手権2部優勝
  • 2004年 サンパウロ州選手権セリエB1準優勝 得点王 (16ゴール)
  • 2005年 サンタカタリーナ州選手権優勝

脚注

関連項目

外部リンク





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