新藤義孝
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新藤 義孝 しんどう よしたか | |
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経済再生担当大臣の就任に際して公開された肖像写真 | |
生年月日 | 1958年1月20日(66歳) |
出生地 | 日本 埼玉県川口市 |
出身校 | 明治大学文学部日本文学科卒業 |
所属政党 | 自由民主党(茂木派) |
称号 | 文学士(明治大学) |
公式サイト | しんどう義孝オフィシャルウェブサイト |
内閣 | 第2次岸田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2023年9月13日[1][2] - 現職 |
内閣 | 第2次安倍内閣 |
在任期間 | 2013年12月13日 - 2014年9月3日[3] |
内閣 | 第2次安倍内閣 |
在任期間 | 2012年12月26日[4] - 2014年9月3日[3] |
選挙区 |
(比例北関東ブロック→) (埼玉2区→) (比例北関東ブロック→) 埼玉2区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 |
1996年 - 2003年 2005年 - 現職 |
川口市議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1991年 - 1996年 |
内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)(第2次安倍内閣)、総務大臣(第17代)兼地域活性化担当大臣兼道州制担当大臣兼内閣府特命担当大臣(地方分権改革)(第2次安倍内閣)、経済産業副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、総務大臣政務官(第1次小泉内閣)、裁判官訴追委員会委員長、衆議院憲法調査会与党筆頭幹事、同決算行政監視委員長、川口市議会議員(1期)、自由民主党フリーランスに関する検討プロジェクトチーム座長、同憲法改正実現本部事務総長、同政務調査会会長代行、同党紀委員会副委員長、同税制調査会副会長、同新型コロナウイルス感染症対策本部本部長代理、同宇宙・海洋開発特別委員長、同憲法改正推進本部事務総長、マイナンバー活用プロジェクトチーム座長、同領土に関する特別委員長、同安全保障と土地法制に関する特命委員長、同政務調査会会長代理、同経済好循環実現委員長、同G空間情報活用推進特別委員長などを歴任[5][6][7]。
来歴
埼玉県川口市出身[8]。川口市立前川小学校、浦和市立岸中学校、明治大学付属中野高等学校を経て[9]、1980年明治大学文学部日本文学科を卒業[8]。川口市役所に勤務した後[9]、1990年(平成2年)、祖父の勝衛[10]が設立した川口ふたば幼稚園の副園長に就任(2004年(平成16年)より園長)[11]。1991年(平成3年)の川口市議会議員選挙で当選[9]。
1996年(平成8年)、38歳で第41回衆議院議員総選挙に埼玉2区から自由民主党公認で出馬。新進党現職の石田勝之に敗れるも、比例北関東ブロックで復活し初当選。当選後は当時の橋本龍太郎首相の出身派閥である平成研究会に入会[要出典]。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、新進党解党後改革クラブ幹事長を務めていた石田も与党の一員だったが一本化に失敗し[要出典]、新藤、石田が共に同一選挙区から出馬。新藤は保守党、石田は公明党から推薦を得た。結果は新藤が埼玉2区で当選。
2001年(平成13年)に総務大臣政務官(行政評価の担当[12])、2002年(平成14年)に外務大臣政務官にそれぞれ就任した。例外的に夫婦の別姓を実現させる会の活動も行った。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では、改革クラブ解党後に民主党へ移っていた石田に敗れ、比例復活もならず落選した。2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では、逆に石田に比例復活を許さず当選し、2年ぶりに国政へ復帰した。安倍改造内閣、福田康夫内閣で経済産業副大臣[13]を務めた。
2009年(平成21年)8月30日の第45回衆議院議員総選挙には埼玉2区から出馬し、石田に再度敗北を喫するも、比例北関東ブロックで復活し、4選[14]。総選挙大敗により、山口泰明が埼玉県連会長を引責辞任したため、後任の県連会長に就任した。
ネットメディア局長在任中、ネットボランティア組織自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)を立ち上げた[15][16]。同局長退任後は後任の平井卓也にJ-NSC代表の座を譲り、自身は事務局長に就任した[要出典]。
2010年(平成22年)9月、自由民主党政務調査会「領土に関する特命委員会」委員長代理に就任。2011年(平成23年)9月には、衆議院決算行政監視委員会委員長に就任。2012年(平成24年)10月22日、自由民主党シャドウ・キャビネット経済産業大臣に就任(党経済産業部会長兼任)[17]。
2012年(平成24年)12月16日の第46回衆議院議員総選挙では埼玉2区で石田を含む他候補に比例復活を許さず勝利し5選。同年12月26日成立の第2次安倍内閣で総務大臣、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、地域活性化担当大臣、道州制担当大臣、郵政民営化を担当する大臣として初入閣。2013年(平成25年)12月13日には、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)に任命された[18]。2014年9月3日、退任。同年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で6選。
2014年9月、自民党地方創生実行統合本部筆頭本部長代理・自民党G空間情報活用推進特別委員長に就任。
2014年10月、衆議院地方創生に関する特別委員会筆頭理事に就任。
2015年10月、自民党政調会長代理就任。
2016年9月、衆議院外務委員会筆頭理事に就任。
2016年9月、自民党領土に関する特命委員会委員長・経済構造改革に関する特命委員会委員長就任。
2018年11月29日、第197回国会第1回憲法審査会にて自民党筆頭理事選任。
2019年9月16日、埼玉県連会長を退任した。自民党埼玉県連臨時大会終了後の記者団の取材に対して「就任から10年たち、かねて後進に道を譲りたいと思っていた」と知事選敗北の引責退任を否定していたが、県連内では2度の知事選敗北に対して責任を問う声が強まっていた[19]。
2020年11月4日、裁判官訴追委員会委員長に就任[20]。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で8選。
2023年9月13日発足の第2次岸田第2次改造内閣に内閣府特命担当大臣(経済財政政策)として再入閣[22]。
人物
- 母方の祖父は、硫黄島の戦いにおける日本軍守備隊最高指揮官の栗林忠道陸軍大将である[23][24]。2015年(平成27年)4月30日、安倍晋三首相のアメリカ合衆国議会合同会議の演説の場で、硫黄島の戦いでかつて海兵隊大尉として戦闘に参加したローレンス・スノーデン退役中将と握手した[25]。
- 靖国神社へ毎年参拝している。平成研究会に所属しているが、平成24年自民党総裁選では清和政策研究会に所属する安倍晋三の推薦人になった[26]。
- 2011年(平成23年)8月1日、稲田朋美衆議院議員・佐藤正久参議院議員と共に韓国の鬱陵島へ向かおうとして、金浦国際空港で、韓国入管当局から出入国管理法第11条(「国益・公共の安全が侵害される恐れがある場合」)に基づき、入国拒否処分となる。「処分は納得出来ない」として9時間空港に居座った後、帰国した[27]。以後、韓国においてペルソナ・ノン・グラータのリスト入り。
- ^ a b 『官報 令和5年特別号外第62号1-2頁 人事異動 内閣』(プレスリリース)国立印刷局、2023年9月13日。
- ^ "第2次岸田第2次改造内閣 閣僚名簿" (PDF) (Press release). 内閣官房内閣広報室. 13 September 2023. 2023年9月13日閲覧。
- ^ a b 『官報 令和元年特別号外第14号 1頁 人事異動 内閣』(プレスリリース)国立印刷局、2014年9月3日。
- ^ 『官報 令和元年特別号外第35号 1頁 人事異動 内閣』(プレスリリース)国立印刷局、2012年12月26日。
- ^ “新藤 義孝”. 首相官邸ホームページ. 内閣官房内閣広報室. 2024年4月21日閲覧。
- ^ “詳詳細プロフィール”. しんどう義孝オフィシャルウェブサイト. 2024年4月21日閲覧。
- ^ “国会議員情報 新藤 義孝(しんどう よしたか)”. 時事ドットコム (時事通信社) 2024年4月21日閲覧。
- ^ a b 詳細プロフィール
- ^ a b c 生い立ち~現在
- ^ a b c プロフィール 川口市 永瀬秀樹(ながせひでき)ウェブサイト
- ^ “当園について”. 川口ふたばこども園 (2020年11月6日). 2024年3月4日閲覧。
- ^ しんどう義孝オフィシャルサイト 活動報告 2002年1月9日
- ^ 新藤 義孝 副大臣 プロフィール(METI/経済産業省)(2008年1月27日時点のアーカイブ)
- ^ 比例貢献が基準? 公明が自民92候補を推薦 読売新聞 2009年7月30日
- ^ 【CafeSta】キーパーソンに聞く! ゲスト:新藤義孝衆議院議員 ナビゲーター:小林史明NM局次長(2014.11.5)
- ^ 自民党衆議院議員 新藤 義孝 インターネットと政治
- ^ 大臣・副大臣・政務官
- ^ 「人事異動」『官報』6194号、国立印刷局、2013年12月17日、10面。
- ^ 自民埼玉県連、新藤会長の退任を正式決定 新会長は前文科相の柴山氏 産経新聞,2019年9月16日
- ^ “訴追委委員長に新藤氏”. 朝日新聞 (2020年11月5日). 2023年7月10日閲覧。
- ^ 自民党政調会長代行に新藤元総務相日経電子版 2022年8月24日
- ^ “第2次岸田再改造内閣の閣僚名簿発表”. 産経新聞. (2023年9月13日) 2023年9月13日閲覧。
- ^ “基本プロフィール”. 新藤義孝公式ウェブサイト. 2019年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月18日閲覧。
- ^ “硫黄島で日米合同の慰霊式 「悲惨な戦い繰り返さず」”. 日本経済新聞 (2019年3月23日). 2019年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月18日閲覧。
- ^ “新藤前総務相:硫黄島戦参加の元米中将と握手 米議場で”. 毎日新聞. 毎日新聞社. (2015年4月30日). オリジナルの2015年5月2日時点におけるアーカイブ。 2017年2月26日閲覧。
- ^ 自民党総裁選推薦人の一覧 日本経済新聞 2012年9月14日
- ^ これに関連して同8月6、7日の対馬の「厳原港まつり対馬アリラン祭」の行事に韓国議員ら7人が参加予定だったが、自民党議員の入国拒否問題後「世論に配慮した」形で不参加を伝えていたことが判明した(スポニチ Sponichi Annex 2011年8月3日)
- ^ 衆議院会議録情報 第174回国会 外務委員会 第8号
- ^ 衆議院会議録情報 第174回国会 外務委員会 第12号 平成22年04月14日
- ^ 衆議院会議録情報 第174回国会 本会議 第25号
- ^ “領土議連、男女群島・肥前鳥島を視察”. 産経新聞. (2011年12月26日). オリジナルの2011年12月26日時点におけるアーカイブ。 2012年1月21日閲覧。
- ^ “民主・自民の衆院議員、尖閣諸島海域を視察”. 読売新聞. (2012年1月21日). オリジナルの2012年1月24日時点におけるアーカイブ。 2012年1月21日閲覧。
- ^ “民主・自民の2衆院議員、尖閣諸島周辺を海上視察”. 朝日新聞. (2012年1月21日). オリジナルの2012年1月23日時点におけるアーカイブ。 2012年6月24日閲覧。
- ^ “自民・新藤氏、石原氏「領土問題 立派な大先輩」”. 産経ニュース. 産経デジタル (2022年2月1日). 2022年9月24日閲覧。
- ^ 石原慎太郎×新藤義孝 尖閣購入で領土を守れ 『WiLL』 2012年7月号[要ページ番号]
- ^ 自民党領土特命委・慰安婦像問題で政府申し入れ(2012.5.17) (『LDPchannel』より) - YouTube
- ^ “尖閣購入「本当は国がやるべきだ」 石原都知事が国会で意見表明”. 産経新聞. (2012年6月11日). オリジナルの2012年6月12日時点におけるアーカイブ。 2012年6月23日閲覧。
- ^ “国境の離島巡るツアー 男女群島議員ら視察”. 西日本新聞. (2012年7月31日) 2012年8月29日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “超党派議員8人らが魚釣島近海へ出航 19日に洋上で慰霊祭”. 産経新聞. (2012年8月18日). オリジナルの2012年8月22日時点におけるアーカイブ。 2012年8月29日閲覧。
- ^ “地方公務員給与削減めぐりバトル 麻生氏「避けて通れないんだ」 全国知事会長「唐突に言われても」(2/2ページ)”. 産経ニュース. 産経デジタル (2013年1月15日). 2020年8月10日閲覧。
- ^ “地方公務員の給与改定に関する取扱い等について”. 総務省. 2019年9月28日閲覧。
- ^ 第186回国会 参議院 総務委員会 第4号 平成26年3月13日
- ^ 総務省 情報通信審議会 郵政政策部会の最終答申に対する当社の見解について ヤマト運輸株式会社 2015年9月29日
- ^ 「総務省 2013年7月号 特集 教えて! 信書ってなに?
- ^ クロネコメール便の廃止について ヤマト運輸株式会社 平成27年1月22日
- ^ “ネコポス・クロネコDM便終了 ヤマト、日本郵便の配送網活用へ”. Impress Watch. (2023年6月19日) 2023年12月19日閲覧。
- ^ a b c d “2012衆院選 埼玉2区 新藤義孝”. 毎日jp (毎日新聞社) 2013年1月14日閲覧。
- ^ 2013年11月26日内閣委員会
- ^ 山口智美ほか『海を渡る「慰安婦」問題』(岩波書店,2016年)p.111
- ^ “新藤総務大臣閣議後記者会見の概要(平成25年5月31日)”. 総務省 (2013年5月31日). 2022年9月24日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ “2021年7月号_6面”. 全国たばこ新聞 (全国たばこ販売協同組合連合会). (2021年6月25日) 2021年7月11日閲覧。
- ^ a b c d 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
- ^ “日本クルド友好議員連盟 | 日本クルド友好協会”. 2020年6月3日閲覧。
- ^ 新藤 義孝 on Twitter: "2月17日(木)、超党派の #日・モルディブ友好議員連盟 総会を開催し、故 竹下 亘会長の遺志を引き継ぎ、私が議連会長に就任いたしました。本年は外交関係樹立55周年という記念すべき年でもあり、議連としても良好な二国間関係の強化に貢献して参りたいと考えております。 https://t.co/Y89Z6WOSWc https://t.co/5himpBNJmD" / Twitter
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