譲位 譲位の概要

譲位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 16:36 UTC 版)

1817年に譲位した光格上皇
2019年に譲位した明仁
天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づいて、譲位後は上皇となる。天皇譲位の直近の例

本項では、主に日本天皇の譲位について記述する。

概説

譲位は通常、バチカン市国におけるローマ教皇マレーシアにおける国王等のいわゆる選挙君主制の事例を除き、終身制が慣例ともされる君主制(対義概念:共和制)において、世襲を原則とした地位の継承を指し、地位の継承先に関わらず君主がその地位を手放すことを退位(たいい)、地位継承の規定や慣例に沿わない者に対して地位を譲ることを禅譲(ぜんじょう)、譲位によって地位を譲り受けて即位することを受禅(じゅぜん)という。

2016年平成28年)7月13日以降の天皇明仁(第125代天皇)の譲位の叡慮えいりょ(天皇の意思)を示す報道で、NHKを筆頭に、ほぼ全てのメディアで『生前退位』(せいぜんたいい)との表現が用いられたが、同年10月20日の誕生日の談話で皇后美智子は「新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。」と述べ、表現に違和感があったことを明らかにした。それ以降、天皇が叡慮を関係者に示すときに実際に使った言葉は「譲位」であることが明らかになっている。その後、譲位や「譲位・退位」という表現での報道がみられるようになった[1][2]

譲位は、後継者を明確にしてその当事者への教育管理ができるという利点を含んだシステムであり、このシステムは「隠居」という形で日本社会全体に定着している[3]

天皇の譲位

日本において最初の譲位は645年に行われた皇極天皇(第35代)から孝徳天皇(第36代)への譲位とされており、神武天皇(初代)から徳仁(126代)まで過去125回の皇位継承のうち、59人57代が譲位によって行われている[3][4]

過去、譲位した天皇は太上天皇(読み:だじょうてんのう)、略称:上皇(読み:じょうこう)の尊号を受けており、太上天皇(上皇)の尊号を授けられた最初の事例は持統天皇(第41代)となる[5]。また、上皇となった天皇が再即位(重祚)した例もある。

譲位は皇位継承の争いを封じ込めるだけではなく、仏教伝来以降、死を穢れとする考え方が強まり、天皇が在位中に崩御することはタブー視されるようになったためでもある[3]

江戸時代後水尾天皇(第108代)は、紫衣事件など、天皇の権威を失墜させる江戸幕府の行いに耐えかね、幼少の女性皇族であった興子内親王(読み:おきこ、後水尾天皇第二皇女子、後の明正天皇/第109代)へ譲位を行った。この譲位は、「幕府に対する天皇の抗議」という意味で捉えられている。

ただし、譲位がたとえ君主の意思表示であったとしても、それだけでは不可能である。譲位の儀式(譲国の儀)および譲位後の上皇の住居である御所造営には莫大な費用がかかり、朝廷がそれを負担できなければ譲位は行えなかった。実際、室町時代室町幕府の財政支援で儀式を行った後花園天皇(第102代)と安土桃山時代豊臣秀吉政権の支援で儀式を行った正親町天皇(第106代)の間の戦国時代に在位した3代(第103 - 105代)の天皇(後土御門後柏原後奈良天皇)は全て在位したまま崩御した[6]

1889年明治22年)に制定された大日本帝国憲法及び旧皇室典範第10条にて、「天皇の崩御によって皇位の継承が行われること」が規定され、「天皇の譲位を認めないこと」が明文化された[7][8][9][10][11] 。当初、宮内省図書頭井上毅が策定した旧皇室典範原案では譲位に関する規定が盛り込まれていたが、高輪会議と呼ばれる会議にて当時内閣総理大臣であった伊藤博文が異を唱え典範から削除された[12]

1947年昭和22年)に施行された日本国憲法に基づく現行皇室典範においても第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。 [13]」と定めており、天皇の譲位は認められていない[14][15][16][11]。これらの制度や法律について、2016年平成28年)8月8日に、当時の天皇明仁が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を表明した[17]

こうして、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)」が2017年(平成29年)に制定された。同特例法に基づき、2019年(平成31年)4月30日を以て明仁が退位したと同時に、翌(令和元年)5月1日に徳仁が第126代天皇として即位。退位した天皇は上皇となり、光格天皇以来約200年ぶりの譲位が実現した。ただし、同特例法は第125代天皇明仁一代限りの退位のみに適用される為、皇室典範本則の改正又は退位を可能にする新たな特例の法律を制定しない限り、次代天皇である徳仁以後は終身在位となる。


  1. ^ 「退位」と「譲位」の使い分けは? 天皇陛下めぐる報道
  2. ^ 産経「譲位」に用語変更 朝日も「生前退位」不使用 他社は表記の混乱も
  3. ^ a b c 『週刊ダイヤモンド 2016 9/17 第104巻36号』ダイヤモンド社 61ページ
  4. ^ 日本書紀』によれば最初の譲位は継体天皇(第26代)から安閑天皇(第27代)であるが、継体天皇は即日に崩御したとされるため、譲位例に数えない場合もある。
  5. ^ 最初の譲位をした皇極天皇は、譲位後に皇祖母尊(すめみおやのみこと)という特別な尊号が定められている
  6. ^ ただし、この時代には天皇の在位中の崩御は禁忌とされていたため、新天皇への譲位・践祚の儀式が終わった後に、旧主(上皇)としての葬儀が行われている(井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房〈歴史科学叢書〉、2012年、168頁。ISBN 9784751744307NCID BB11267692全国書誌番号:22265921 
  7. ^ 伊藤博文 著 『皇室典範義解』 第十条
  8. ^ 坂本一登 著 『伊藤博文と明治国家形成―「宮中」の制度化と立憲制の導入』:180頁(文庫版:248頁) 「しかし、伊藤井上毅の意見を無視し、君位を君主の個人的な意思に委ねないという見地から、天皇の譲位それ自体を明白に否定したのである。」 (大久保啓次郎. “明治国家形成期における井上毅の事績~福澤諭吉の時代から井上毅の時代へ~” (PDF). 2014年7月16日閲覧。
  9. ^ 「高輪会議」における『皇室典範再稿(柳原前光内案)』逐条審議、伊藤決裁[第十二条(譲位)、第十五条(太上天皇)] : 皇室典範、皇族令、草案談話要録 (秘書官伊東巳代治、明治20年3月20日) は、小林宏・島善高編著『明治皇室典範〔明治22年〕上 : 日本立法資料全集本巻 16』(1996年5月26日発行、信山社出版)、梧印文庫研究会編著『梧陰文庫影印−明治皇室典範制定本史-』(1986年8月1日発行、國學院大學)、国立国会図書館憲政資料室所蔵「憲政史編纂会収集文書」に所収。
  10. ^ 島善高五味均平旧蔵「日本帝国皇室典範」について」『早稲田社會科學研究』第43巻、早稲田大学社会科学部学会、1991年10月、383-405頁、ISSN 0286-1283NAID 120000792979 
  11. ^ a b 自発的退位(譲位)の問題については、 [兵藤守男「皇位の継承」『法政理論』第40巻第2号、新潟大学法学会、2007年12月、125-160頁、ISSN 02861577NAID 110009004834 ] が詳しい。日本国憲法下において、譲位を認めるべきであるという意見は、皇室典範制定当初から現在に至るまで、様々な観点や理由から出されている。制定審議の代表例としては、第91回帝国議会貴族院本会議(昭和21年12月16日)での南原繁による質問演説(2016年7月18日閲覧)が挙げられる。
  12. ^ 明治の元勲・伊藤博文はなぜ譲位容認案を一蹴したのか? 「本条削除すべし!」 明治天皇に燻る不満「朕は辞表は出されず」 産経ニュース
  13. ^ 皇室典範 第四條
  14. ^ 幣原復員庁総裁・国務大臣答弁[貴族院]、金森国務大臣(憲法担当)答弁[衆議院貴族院]、田中文部大臣答弁[貴族院]。皇室典範案会議録一覧 - 国立国会図書館、日本法令索引。
  15. ^ 皇室典範に規定する事項に関する試案(金森国務大臣) - 国立公文書館 デジタルアーカイブ
  16. ^ 林(修) 法制局長官答弁 「これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣(註.第91回帝国議会衆議院本会議/昭和21年12月5日)はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。」 衆議院会議録情報 第31回国会 内閣委員会 第5号 昭和34年2月6日”. 国立国会図書館「国会会議録検索システム」. 2016年7月16日閲覧。
  17. ^ a b 象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)
  18. ^ 以上、石村貞吉『有職故実(上)』1987年。
  19. ^ 歴史上の実例」 宮内庁。
  20. ^ 重祚して斉明天皇として再即位した際は崩御まで在位した。
  21. ^ 重祚して称徳天皇として再即位した際は崩御まで在位した。
  22. ^ 実際は廃位
  23. ^ 実際は廃位。
  24. ^ 実際は廃位。
  25. ^ 実際は廃位。
  26. ^ 読売新聞朝刊2016年8月9日特別面p12
  27. ^ 「5月から検討加速 宮内庁幹部ら5人」毎日新聞2016年7月14日 15時00分
  28. ^ 天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議
  29. ^ 読売新聞 2016年12月1日
  30. ^ 天皇退位の特例法が成立 200年ぶりの生前退位へ - BBC 2017年6月9日
  31. ^ a b c 「天皇」有識者会議 摂政論には無理がある 毎日新聞2016年11月21日 東京朝刊
  32. ^ a b 陛下はなぜ「摂政」を望まれないのか 過去64例、設置理由「幼少」が最多
  33. ^ 天皇陛下退位ヒアリング 2回目の議事録公表
  34. ^ 石川健治「人間七十年」『法学教室』2016年10月号巻頭言参照
  35. ^ 天皇の生前退位 反対論者に共通するのは政治混乱への危惧
  36. ^ 天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議最終報告 参考資料」23ページ。
  37. ^ a b 皇室典範どこまで変えるべきか - 木村草太(首都大学東京教授)






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