蛇行動 研究の歴史

蛇行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/27 07:39 UTC 版)

研究の歴史

鉄道黎明期

自己操舵機能を得るための車輪踏面勾配による左右振動は鉄道の歴史の初期から認識されてきた。1821年ジョージ・スチーブンソンの著作の中で、1輪軸の蛇行動の発生原理の説明が既になされている[8]。世界で最初の実用的な蒸気機関車を用いた鉄道であるイギリスのリバプール・アンド・マンチェスター鉄道においても、客車の固定軸距が非常に短く、酷い蛇行動揺れが発生していたという評判であった[32]。二軸車の曲線通過性能の悪さを克服するために、19世紀前半にかけてボギー台車が発明され広まっていく。初期のボギー台車は非常に短い軸距構造となっていたが、1850年代には軸距が広げられ蛇行動安定性も向上した[32]。また、この頃の台車の設計は、車軸と台車の結合に過度な自由度が存在する場合に蛇行動が顕著になる経験から、車軸は台車枠に対して固く結合することが一般であった[32]

理論的基礎の確立

蛇行動の数理的解析については、1883年、クリンゲル(W. Klingel)は幾何学的な輪軸の運動解析を行い、1輪軸の幾何学的蛇行動波長を導出した[8]。その後、1916年、 車輪・レール間に作用する力を考慮した初めての現実的な運動モデルとそれによる機関車の蛇行動解析に関する論文が、イギリスのカーター(F. W. Carter)によって発表された[12]。この論文の中でカーターは車輪・レール間に作用する力としてクリープによる接線力を導入し、車輪の踏面勾配とクリープによる接線力が結びつくことで動的な不安定性が生み出されることを示した[12]。カーターは引き続き1920年から1930年にかけて運動解析の論文を発表し、機関車の車軸配置が蛇行動特性に与える影響などを発表する。例えば、ホワイト式車輪配置が4-6-0の機関車では、構造の非対称性により前進と後進で蛇行動限界速度が異なることなどを指摘している[12]

19世紀にかけて、エドワード・ラウスによる安定性判別法(今日では制御理論分野におけるラウス・フルビッツの安定判別法として知られる)などのシステムの安定性解析理論が発達してきた。これらの理論の発達は飛行機のフラッター現象の解明などに応用されていく[12]。カーターも、上記の研究の中でラウスの安定判別法を車両の運動解析に応用して蛇行動安定性解析を達成している[12]。このようなカーターの働きにより鉄道車両の運動解析における理論的な基礎が確立された[12]。その一方で、当時の職業鉄道技術者らは経験的な機械工学による設計手法を行ってきており、カーターが取り入れたような理論的手法に通じていなかった[12]。理論結果を裏付ける実験的な基礎の不足もあり、カーターの成果は鉄道工学の中に広がりを見せず、その後20年間ほどの間は運動解析の面で特筆すべき進歩は僅かとなった[12]

軸箱支持剛性の影響

カーターの研究では、台車枠と輪軸が剛結合している台車モデルにより解析されていた[12]。しかし実際の台車枠と輪軸は相対動きを許容するため何らかの非剛的な結合がされている。このような台車枠-輪軸間の剛性のことを軸箱支持剛性と呼ぶが、軸箱支持剛性が蛇行動特性に与える影響の研究について、以下のように、第二次世界大戦後の日本とイギリスにより主立って進められた。

1946年から1957年にかけて、日本国有鉄道により貨車の速度向上の試みがなされた[33]。この二軸車の貨車は、低い速度でも蛇行動が発生することが問題とされていた[33]。この過程で、鉄道技術研究所松平精により、航空工学のフラッター理論に基づく運動解析と、車両の1/10スケールモデルの実験によって蛇行動の研究が進められた[34]。この研究の中で、蛇行動は自励振動の一種であり、レールの不整のような外的要因が無くても発生し得ることが示された[34]。松平によれば、この頃の古くからの日本の鉄道技術者たちは、蛇行動の原因は蛇行動曲がりと呼ばれるレールの正弦波形の軌道狂いにより発生するものという説を主張していた[34]。松平の研究が浸透する内に、このレールの軌道狂いを原因とする説は姿を消していった[34]。また、この研究で用いられた車両のスケールモデルによる実験は、レールに相当する回転円盤上に車両を設置して走行する模型車両を定置で模擬・実験するもので[34]、回転円盤を用いた定置形式の車両走行試験の始まりでもある[33]。松平の研究は最初は日本語で発表されたこともあり欧米では良く知られなかったが、ウィッケンス(A.H. Wickens)の著作によると、松平の研究が走行安定性に対する輪軸支持剛性の効果の最初の研究としている[35]。松平は、上記の研究を基に、1951年に蛇行動防止のための2段リンク式走り装置を開発し[36]、後の二軸貨物車の速度向上に貢献している。また、回転円盤を使用した車両試験台は、1/10スケールモデルから1/5スケールモデル用へ発展し、さらには実車を乗せることができるサイズの試験台も開発され、共に初代新幹線用台車の蛇行動試験に用いられ、新幹線の開発に貢献した[36]。日本における蛇行動の研究については、鉄道車両の台車史#日本における多様化についても参照のこと。

1960年代前半、イギリス国鉄は、上記の日本の国鉄と同じように二軸貨車の速度向上の試みを進めていたが脱線発生の増加に悩まされていた[37]。イギリス国鉄はこの問題を解決するため航空産業の技術者だったアラン・ウィッケンス(Alan H Wickens)を採用し、彼が率いる研究チームが結成され、以降は理論、実験の両面からの精力的な研究が進められた[37]1963年に同研究所のキング(B. L. King)により、続く1965年同研究所のポーレイ(R. A. Pooley)により実車スケールの実験で蛇行動限界速度、振動モードの測定が成され[37]、理論予測と実験の比較もなされている[38]。ウィッケンスは、解析モデルの中で輪軸支持剛性に注目し、輪軸と車体(あるいは台車)間に左右剛性とヨーイング剛性を導入する設計手法を考案する[38]。その後、この考え方の車両モデルは同研究所のブーコック(D. Boocock)により曲線通過解析への応用がなされ[38]、蛇行動特性と曲線通過特性を統一的に扱うための2輪軸と台車間のせん断剛性、曲げ剛性という考え方が考案される[39]。これらの研究成果は、イギリス国鉄の1969年から1975年[40]の高速貨車計画のHSFVシリーズ(en:High Speed Freight Vehicle)の開発へと反映されていく[38]

非線形性の影響

1955年には、UIC(国際鉄道連合)で新設されたORE(Office for Research and Experiments)により、蛇行動の数理解析問題のコンペティションが開かれた[41]。二軸車を対象とした最も優れた蛇行動解析を決めるもので[33]、蛇行動問題に関心のある研究者を探し出すことが目的でもあった[41]。受賞は、1位:アルジャリア大学のPossel教授、2位:アルストム社のBoutefoy技師、3位:日本国有鉄道の松平の解析で、いずれも問題への完全な回答はなされなかったが将来性を考慮して受賞が決められた[41]

UICの研究コンペティションの問題条件では、特に非線形性や車輪踏面の摩耗の問題を強調していた[33]1962年からの日本の新幹線試験走行でも、顕著な台車蛇行動を記録し、ダイレクトマウント方式による側受摩擦抵抗と車輪フランジのレール衝突という2つの非線形特性に起因する蛇行動の可能性が認識された[42]。 その後1960年代から1970年代にかけて、コンピュータパワー向上の恩恵を受けて、多くの自由度を持ち非線形性も取り扱う車両運動シミュレーションが発達していった[43]

高速鉄道の発達

蛇行動の存在は鉄道の高速化を阻害してきた要因の一つである[19]。1955年にはフランス国鉄が電気機関車による時速331km/hの世界記録を達成したが、この時の走行は脱線直前の危険な状態であった[44]。走行後の軌道は左右に大きく変形し、蛇行動の発生が原因の一つと考えられている[44]

一方、日本では上記の松平らの研究を中心として蛇行動の研究が進み、1950年代後半頃から計画された新幹線の開発にもこれらの成果が投入された。1964年には日本で営業最高速度200km/hで新幹線が開業する。ヨーロッパでも高速鉄道の技術が高まり、1981年にはフランスのTGVが、1991年にはドイツのICEが開業する。蛇行動抑制のためのヨーダンパもTGV車両で初めて実用化され[28]、日本でも1992年に運用が開始された新幹線300系電車でヨーダンパを装備したボルスタレス台車が採用され、高速鉄道用ボルスタレス台車の実用化も達成された。

2013年時点で、車両運動の数値解析や台車回転試験など利用した検証により、蛇行動を抑えることそのものは大きな問題とならなくなっている[19]。時速515km/hを記録した1990年のTGVの試験走行においても走行安定性は問題なかったと報告されている[45]。しかし蛇行抑制と曲線通過性能の確保は相反することが多く、これらの両立は鉄道車両設計の課題の1つとされている[19]


  1. ^ a b c d 鉄道総合技術研究所. “鉄道技術用語辞典”. 2013年9月22日閲覧。
  2. ^ 「鉄道車両技術入門」p.1
  3. ^ a b c 「鉄道車両技術入門」pp.20-21
  4. ^ a b c 「電車のメカニズム」pp.72-73
  5. ^ 「車両システムのダイナミックスと制御」p.8
  6. ^ a b 「車両システムのダイナミックスと制御」pp.10-11
  7. ^ a b c d 「鉄道車両のダイナミクス」p.26
  8. ^ a b c 「Handbook of Railway Vehicle Dynamics」p.7
  9. ^ 「鉄道車両のダイナミクス」p.23
  10. ^ a b 「車両システムのダイナミックスと制御」p.127
  11. ^ 「車両システムのダイナミックスと制御」p.131
  12. ^ a b c d e f g h i j 「Handbook of Railway Vehicle Dynamics」pp.13-15
  13. ^ a b 「軸箱柔支持台車の蛇行動波長」p.1731
  14. ^ a b 「鉄道車両のダイナミクス」pp.27-29
  15. ^ 「鉄道車両のダイナミクス」p.3
  16. ^ 「車両システムのダイナミックスと制御」p.134
  17. ^ a b c 「鉄道車両のダイナミクス」p.14
  18. ^ 「電車のメカニズム」p.71
  19. ^ a b c d e f 小泉智志「台車技術からみた鉄道車両の高性能化の状況と今後の展望」『新日鉄住金技報』第395巻、新日鉄住金、2013年、 12-13頁。
  20. ^ 「鉄道車両メカニズム図鑑」p.225
  21. ^ 「電車のメカニズム」p.75
  22. ^ a b 「鉄道車両メカニズム図鑑」p.217
  23. ^ a b 「電車のメカニズム」pp.43-44
  24. ^ a b 「車両システムのダイナミックスと制御」pp.111-112
  25. ^ 「鉄道車両のダイナミクス」p.105
  26. ^ a b 「ボルスタレス台車」p.35
  27. ^ 「電車のメカニズム」pp.16-17
  28. ^ a b 「鉄道車両のダイナミクス」p.130
  29. ^ a b 「新世代鉄道の技術」pp.96-97
  30. ^ a b 「鉄道車両のダイナミクス」p.132
  31. ^ 「新世代鉄道の技術」pp.188-189
  32. ^ a b c 「Handbook of Railway Vehicle Dynamics」pp.9-10
  33. ^ a b c d e 「Handbook of Railway Vehicle Dynamics」pp.16-17
  34. ^ a b c d e 「零戦から新幹線まで」p.627
  35. ^ 「Fundamentals of Rail Vehicle Dynamics」p.10
  36. ^ a b 「東海道新幹線に関する研究開発の回顧」p.1561
  37. ^ a b c 「Handbook of Railway Vehicle Dynamics」pp.19-20
  38. ^ a b c d 「A history of engineering research on British Railways」pp.19-20
  39. ^ 「Handbook of Railway Vehicle Dynamics」p.26
  40. ^ 「A history of engineering research on British Railways」p.36
  41. ^ a b c 中村和雄「〔390〕鉄道車両のだ(蛇)行動に関する研究コンテストの結果〔Bull. SFM, 1957, 7eme Annee, No. 24, p.45-46〕」『日本機械学會誌』第62巻第486号、日本機械学会、1959年7月5日、 1138頁、 doi:10.1299/jsmemag.62.486_1138_3NAID 110002456999
  42. ^ 「東海道新幹線に関する研究開発の回顧」pp.1562-63
  43. ^ 「Handbook of Railway Vehicle Dynamics」pp.28-29
  44. ^ a b 植木健司「輪重横圧測定のあゆみ」『鉄道総研RRR』第69巻第10号、2012年、 29頁。
  45. ^ 「鉄道車両のダイナミクス」p.92





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