志摩町和具 地理

志摩町和具

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 23:43 UTC 版)

地理

志摩市の南部、前島半島の中央に位置する[2]。北は英虞湾、南は熊野灘に面しており、両方にを持つ。また間崎島(まさきじま)や和具大島などの離島を有する。

  • 英虞湾の:間崎島、座賀島、高崎島、小高崎島、大高崎島、埋葬地島、すだれ島、花川島、花川北島、めど島、ただこ島、宮ヶ島、あじの島、黒部島[3]
  • 熊野灘の島:大島、鳴神、幣ノ島、神ノ島
  • 河川:江田川(準用河川)、奥谷川、岡崎川[4]

中心集落は和具漁港の北側にあり、住宅商店が密集する[4]。宅地の平均敷地面積は129 m2であり、建ぺい率の規制はあるが、「建て詰まり」感がある[4]

東は志摩町布施田、西は志摩町越賀と接する。

志摩市の北隣の鳥羽市にも答志島に「和具」という集落があるため、区別するために「志摩の和具」・「崎島(先志摩、さきしま)の和具」と呼ぶこともある[5]

歴史

和具では小字百部及び石ヶで円墳が見つかっており、石室須恵器片が出土している[6]ことから、古くから人が居住し有力者がいたことが窺える。

文字による記録では「志摩国志摩郡和具郷御調 海藻六斤」や「志摩郡答志郡和具郷」と記された木簡平城宮跡から見つかっているが、「和具郷」が当地域を指すとする説と鳥羽市沖の答志島の和具であるとする説があり、はっきりしない[2]。当地域に関する記録であることがはっきりしているもので最古のものは、嘉元3年(1305年)の『摂ろく(竹冠に録)渡荘目録』に記されたもので、摂関家渡領・勧学院領であったという[2]

戦国時代には「志摩十三地頭」の一人、青山氏(和具氏とも称す)が勢力を伸ばし和具に居城を構えた。この城は「和具砦」と呼ばれ、50×40mの規模があり[6]、7代が拠った。青山氏の初代・青山小平太は暦応年間(1338年1341年)に紀伊国から守護に招かれ[2]和具に来たという。子孫の青山豊前は永禄年間1558年1570年)に九鬼嘉隆の家来となって九鬼姓を名乗り、著しい軍功をあげた。九鬼氏の家督争いで転封になった際は嘉隆の孫・久隆に従い摂津国三田藩(現兵庫県三田市)へ移った[2]1532年天文元年)頃、矢納村(和具の旧村名)から4戸の農民が生活困窮のために間崎島へ移住した[WEB 5]。こうした経緯から、間崎島は距離的には阿児町の方が近い[WEB 5]が、志摩町和具に属している。

江戸時代には一貫して和具村として英虞郡鵜方組に属し、鳥羽藩の配下にあった。享保11年(1726年)の『村差出帳』では村高538.676石、延享3年(1746年)の記録では551石とある。主に漁業で生計を立てており、耕地稲作に不向きでサツマイモなどの畑作が中心であった。このサツマイモは英虞湾対岸の鵜方浜島農民と取り引きされ、みかんが和具にもたらされた[6]

おりきの松公園

明治時代に入ると町村制施行により単独村制を敷き、1939年(昭和14年)に和具町に昇格、2度の大合併を経て現在に至る。大正時代に住民の生活水準が向上し、美珠通りに商店が建つようになった[7][8]1960年代頃より沼地や湿田を埋め立てて宅地造成が進み、遊水地が失われたことで昭和50年代(1975年 - 1984年)には年4 - 5回のペースで浸水被害が発生するようになった[4]。浸水はあったが、漁業が好調であったため、美珠通りは町の中心として賑わっていた[4]

2009年(平成21年)3月29日、片田村(現:志摩市志摩町片田)出身でアメリカ合衆国へ渡った伊東里きが親戚に贈った「おりきの松」の周囲が「おりきの松公園」として整備され、一般開放された[9]。これは、河川改修・防災公園整備・緑地整備の3事業からなる洪水対策の一環で、江田川改修により美珠通りの冠水が発生しなくなった[10]

沿革

わぐちょう
和具町
廃止日 1954年12月1日
廃止理由 新設合併
和具町布施田村片田村越賀村御座村志摩町
現在の自治体 志摩市
廃止時点のデータ
日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
志摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 3.46 km2
総人口 6,767
(『志摩町史』、1953年)
隣接自治体 志摩郡布施田村、越賀村
和具町役場
所在地 三重県志摩郡和具町
座標 北緯34度15分34.9秒 東経136度48分51.8秒 / 北緯34.259694度 東経136.814389度 / 34.259694; 136.814389 (和具町)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

地名の由来

志摩市志摩町片田にある真言宗醍醐派の三蔵寺で所蔵されている『三蔵寺文書』によると「矢納村」から改称され「和具村」になったという。盗賊に襲われ、矢納村から間崎島へ移住しなければならないほど困窮した地域が回復し、平和になったことから和具に改称されたという[5]。和具という名前の由来は定かではない[2]

鵜方町(現・志摩市阿児町鵜方)の中村精貮は、友人から聞いた話として、「和具の人は騒ぐのが好きだったため、近隣の人にサワグという地名を付けられてしまったが、和具の人は忘れん坊でもあったので、サワグからサを忘れてワグとなった」という説を紹介した[11]。更に中村は、和具にある古墳に大若子命(おおわくごのみこと)の弟である「乙若子命」(おとわくごのみこと)を葬ったものがあり、乙若子命の「若子」(わくご)から「わぐ」という地名が付けられた、との自説を披露している[12][注 1]

地名研究家の池田末則は、和具をワ=輪またはないし渚、グ=処であろうか、と解説している[14]。また吉田茂樹は和具を「脇」と解釈した[15]

世帯数と人口

2019年(令和元年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

行政区 世帯数 人口
和具 1,914世帯 4,233人
間崎 45世帯 69人
(志摩町和具)計 1,959世帯 4,302人

人口の変遷

1745年以降の人口の推移。なお、2005年以後は国勢調査による推移。

1745年延享2年) 954人 [6]
1880年(明治13年) 2,978人 [6]
1908年(明治41年) 4,099人 [2]
1980年(昭和55年) 6,684人 [16]
2005年(平成17年) 5,647人 [WEB 6]
2010年(平成22年) 5,048人 [WEB 7]
2015年(平成27年) 4,307人 [WEB 8]

世帯数の変遷

1745年以降の世帯数の推移。なお、2005年以後は国勢調査による推移。

1745年延享2年) 210戸 [6]
1880年(明治13年) 522戸 [6]
1908年(明治41年) 685戸 [2]
1980年(昭和55年) 1,757世帯 [16]
2005年(平成17年) 1,944世帯 [WEB 6]
2010年(平成22年) 1,840世帯 [WEB 7]
2015年(平成27年) 1,727世帯 [WEB 8]

注釈

  1. ^ 大若子命・乙若子命は伊勢神宮に奉職した度会氏の祖とされ、豊受大神宮(外宮)の摂社である大間国生神社祭神となっている[13]。大若子命は答志島の和具の古墳に葬られていることから、志摩町和具と答志和具の関連を中村は指摘している[12]

WEB

  1. ^ 三重県志摩市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年8月28日閲覧。
  2. ^ a b 志摩市の人口について”. 志摩市 (2019年7月31日). 2019年8月28日閲覧。 “※志摩町和具の領域である、「和具」と「間崎」の人口を合算。”
  3. ^ a b 志摩町和具の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ a b アイランダー2012"島の情報 鳥羽・志摩諸島"<ウェブ魚拓>(2013年5月14日閲覧。)
  6. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  7. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ 学校通学区”. 志摩市. 2019年8月28日閲覧。
  10. ^ 志摩市観光協会、志摩市観光協会>観光名所>志摩(2010年1月28日閲覧)
  11. ^ a b 三重県農水商工部水産基盤室『三重県農水商工部水産基盤室/和具漁港
  12. ^ a b 伊勢志摩きらり千選実行グループ"雑賀島(ざがしま/国土地理院地図では座賀島)"(2013年12月18日閲覧)
  13. ^ 三重大学大学院生物資源学研究科"施設の概要"<ウェブ魚拓>(2013年6月15日閲覧。)
  14. ^ 大阪大学大学院文学研究科フランス文学研究室"大阪大学・フランス文学研究室・トップページ"<ウェブ魚拓>(2013年6月15日閲覧。)
  15. ^ a b 大阪大学"和具臨海学舎(海の家)閉舎について"<ウェブ魚拓>2009年2月10日(2013年6月15日閲覧。)
  16. ^ 三重大学大学院水産実験所"さかな座賀紀行 » シンジュカズナギ"2011年5月25日(2013年12月18日閲覧。)
  17. ^ 国際海洋環境情報センター海洋研究開発機構"シンジュカズナギ - Marine Biological Sample Database"(2013年12月18日閲覧。)
  18. ^ 三重県・三重大学"志摩の自然を活かす - 生物資源学部 - 三重大学"(2013年12月18日閲覧。)
  19. ^ a b 三重県教育委員会事務局、みんなで、活かそう!守ろう!三重の文化財・和具大島暖地性砂防植物群落(2010年1月28日閲覧)
  20. ^ 三重県環境森林部自然環境室『みえの自然楽校/和具大島のハマユウ』(2010年1月28日閲覧)
  21. ^ 山川芳彦『海女の祭り』(2010年1月28日閲覧)
  22. ^ 海上保安庁第四管区海上保安部「四管区内・愛知県・三重県の水道
  23. ^ 伊勢志摩きらり千選実行グループ『伊勢志摩きらり千選 和具の金蔵』(2010年1月28日閲覧)
  24. ^ a b 「桜がないのはかわいそう」―石原円吉翁の銅像公園に「円吉桜」植樹”. 伊勢志摩経済新聞 (2009年4月16日). 2016年8月4日閲覧。
  25. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

出典

  1. ^ 青野(1953):6ページ
  2. ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1125.
  3. ^ 免許の内容となるべき事項等”. 水産庁. 2021年9月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 都市再生整備計画(第3回変更)和具地区”. 三重県志摩市 (2009年12月). 2021年9月12日閲覧。
  5. ^ a b 中村精貮 1951, p. 150.
  6. ^ a b c d e f g 平凡社地方資料センター 1983, p. 699.
  7. ^ a b 飯田正章 (2017年2月). “志摩町美珠通り周辺”. 松阪ケーブルテレビ・ステーション. 2021年9月12日閲覧。
  8. ^ a b 澤田敦志 (2019年10月). “志摩町美珠通り周辺”. 松阪ケーブルテレビ・ステーション. 2021年9月12日閲覧。
  9. ^ 里き・源吉の手紙を読む会 編(2011):202ページ
  10. ^ まちづくり交付金 事後評価シート 和具地区”. 三重県志摩市 (2009年12月). 2021年9月12日閲覧。
  11. ^ 中村精貮 1951, p. 149-150.
  12. ^ a b 中村精貮 1951, p. 152.
  13. ^ 伊勢文化舎 2008, p. 53.
  14. ^ 池田・丹羽 監修 1992, p. 474.
  15. ^ 吉田 1991, p. 480.
  16. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1423.
  17. ^ 高木(2009):52 - 53ページ
  18. ^ 高木(2009):53ページ
  19. ^ 志摩市市長公室 編(2007):1ページ
  20. ^ 青野(1953):42ページ
  21. ^ 青野(1953):22 - 41ページ
  22. ^ 菅田、1995、58ページ
  23. ^ 寺尾(1985):137ページ
  24. ^ 志摩町史編纂委員会編 2004, p. 240.
  25. ^ 三重県観光連盟『選ばれし三重|建築物(道・建築物):観光三重』(2010年2月1日閲覧)
  26. ^ リクルート『和具観音堂の基本情報-じゃらん観光ガイド』(2010年2月2日閲覧)
  27. ^ 安永陽祐"志摩ノ海関 十両報告 市長訪問「豪快な相撲取りたい」"中日新聞2016年6月16日付朝刊、三重総合17ページ






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「志摩町和具」の関連用語

志摩町和具のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



志摩町和具のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの志摩町和具 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS