引眉 引眉の概要

引眉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 05:35 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
引眉と殿上眉の例(一条美賀子

奈良時代

眉を剃る、または抜いたあと、細い弓形の眉を墨で描く。

平安時代〜安土桃山時代

烏天狗と牛若丸(引眉の事例)

眉を剃る、または抜いたあと、除去した眉よりも高い位置に「殿上眉」という長円形の眉を墨で描く。

元来は裳着の際に、お歯黒とセットで行われたもので、平安時代中期頃から男性貴族、平家の武将等の元服の時にも行うようになった。

室町時代以降は殿上眉の位置はさらに高くなり、能面にも写されるようになった。

江戸時代

歌川国貞『富貴草園遊覧』(右端の女性が引眉かつお歯黒

江戸時代では以下に該当する女性のみの習慣となり、元服の際にお歯黒とセットで行われたものである。

  • 既婚女性全般(お歯黒を付け、引眉する、但し武家(武士)の妻は出産後に引眉する)
  • 18〜20歳以上の未婚女性(お歯黒を付けても引眉する場合としない場合有り)

江戸中期までは眉を剃る、または抜いたあと、元々の眉を薄い墨でなぞる。江戸後期以降は眉を剃る、または抜いたあと眉を描かない場合が多い。

なお、演劇や浮世絵などでは剃った跡を薄い青で表現する場合が多い、これを青黛と呼んでいる。

なお、お歯黒を付けても眉を剃らない場合もあり、この場合は半元服と呼ばれる。

この他、幕末から明治時代にかけての写真浮世絵に、2歳から12歳くらいの少女が、眉を剃っているものをよく見かける[1]

明治時代

文明開化以降はお歯黒とともに衰退し、明治時代中期にはほとんどみられなくなった。一部の演劇、また伝統的な祭りの際にみられるだけである。

大正~現代

眉墨#日本における眉化粧の歴史を参照のこと。現在の眉をめぐるファッションは、先祖返りともいえよう。

参考文献

  • 化粧ものがたり-赤・白・黒の世界(高橋雅夫著、雄山閣出版



「引眉」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「引眉」の関連用語

引眉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



引眉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの引眉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS