フリーク・アウト!
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制作
アルバム用に最初に録音されたのは「エニイ・ウェイ・ザ・ウィンド・ブロウズ」 ("Any Way the Wind Blows") と「フー・アー・ザ・ブレイン・ポリス?」 ("Who Are the Brain Police?") の2曲であった[2][11]。前者をうなずきながら聴いていたトム・ウィルソンは後者を聴くに及んで、マザーズが単なるブルース・バンドではないということに気づいた。『フランク・ザッパ自伝』("The Real Frank Zappa Book" 、以下『自伝』)において、「ガラスの向こうで、電話に飛びつくウィルソンの姿が見えた。きっと、上司にこう弁解していたのだろう。『いえ、その、ホワイト・ブルース・バンドと断定するのはちょっと無理がありますけど……そんなようなものです』」とザッパは記している[2]。1968年に "Hit Parader" 誌に寄せた記事の中でも、ウィルソンがこれらの曲を聴いたときの様子についてザッパは「強烈な印象を受けたあいつは電話に飛びつき、ニューヨークを呼び出した。結果として俺はこの化け物じみた作品を作るために多かれ少なかれ自由に予算を使うことができるようになった」と述べた[11]。
『フリーク・アウト!』はいわゆるコンセプト・アルバムの最初期の例、もしくは元祖とみなすことのできる作品であり、ロック・ミュージックやアメリカン・カルチャーに対する嘲笑的なファルスである。『自伝』におけるザッパ自身の言葉によれば、「収録されたすべての曲が、なんらかのテーマをもっていた。ヒット・シングルのAB面に適当なフィラーを追加したアルバムとは大違いで、アルバム全体を一本の風刺的コンセプトが貫いていたし、そのなかで各曲がそれぞれの機能をもっていた」[2]。「フィラー」 (filler) とは埋め合わせ曲のことで、当時のアルバムというものはザッパの言葉通り、数枚のシングル曲に抱き合わせの適当な曲を混ぜ合わせてLP1枚に仕立てたものでしかなく、アルバム全曲を通して1つの作品にするという発想は1966年当時の音楽業界には存在しなかった。のちにコンセプト・アルバムと呼ばれるこうした形態をとった最初の作品はビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年発売)とされることが多いが、『フリーク・アウト!』はこれに先駆けるものであった。(イギリスを初めとするヨーロッパでの当初のリリースは1枚に編集されたものだった為、ザッパのコンセプトは崩れていたとも言えるのだが)
アルバム全編のレコーディングは1966年3月9日から12日にかけて、カリフォルニア州ハリウッドのサンセット・ブールヴァードとハイランド・アヴェニューの交差点の近くにあるTTGスタジオにおいて行われた[13]。「マザリー・ラヴ」 ("Motherly Love") や「アイ・エイント・ガット・ノー・ハート」 ("I Ain't Got No Heart") などいくつかの曲は『フリーク・アウト!』セッションに先立ってすでに録音されていた。1965年ごろに行われていたとされる[13]これら初期の録音は、2004年に発売されたザッパ没後のアルバム『ジョーのコサージュ』 ("Joe's Corsage") で初めて公式にリリースされた。「エニイ・ウェイ・ザ・ウィンド・ブロウズ」の初期ヴァージョンは1963年に録音され[14]、同じくザッパの死後にリリースされたアルバム『ロスト・エピソード』 ("The Lost Episodes") に収録された。この曲はザッパが最初の妻ケイ・シャーマンとの離婚を考えたときに作曲された[14][15]。『フリーク・アウト!』のライナーノーツにザッパは「もし俺が離婚していなかったら、このよくある馬鹿げた作品も録音されることはなかったろう」と書いている[15]。
セッションが進むに連れ、トム・ウィルソンはますます自分の仕事に熱を入れるようになった。レコーディングが行われた週の半ば、ザッパはウィルソンに対して、金曜日の深夜から始まるレコーディング用に500ドル分のパーカッションを借り出してほしいこと、サンセット・ブールヴァードにたむろしているフリークス(変わり者たち)に何かやらせるため、彼らをまとめてスタジオに連れて来てほしいことなどを伝えた。ウィルソンは即座に同意した。このときに録音された素材は「ザ・リターン・オブ・ザ・サン・オブ・モンスター・マグネット」 ("The Return of the Son of Monster Magnet") に使用された[2]。ザッパによれば、レーベルはザッパが作曲を完成させるのに必要な時間の猶予を認めなかったため、この作品は未完成の形でリリースされることとなった[15][16]。
のちにザッパは、音源が録音されていたときにウィルソンがLSDを服用していたことを知った。「想像せずにはいられないね——コントロール・ルームのなかで、スピーカーから飛び出してくる奇怪なバカ騒ぎを聴きながら、ウィルソンがいったいなにを考えていたのか。おまけに彼は、エンジニアのアミ・ハダニ(彼は素面だった)に指示を出す立場にいたのだ」[2]。『フリーク・アウト!』が編集されアルバムの形になった時点で、ウィルソンはMGMの経費として2万5000ないし3万ドルの制作費を使っていた[2]。"Hit Parader" 誌の記事でザッパは「ウィルソンは首を切られる瀬戸際に追い詰められていた。このアルバムをプロデュースすることで、彼は自分の仕事を失いかけたのだ。MGMはこのアルバムのために金を使いすぎたと感じていた」[11]と書いている。
レーベルは「ヘルプ、アイム・ア・ロック」 ("Help, I'm a Rock") の一部である「イット・キャント・ハプン・ヒア」 ("It Can't Happen Here") に含まれる歌詞から2ヵ所を削除するよう要求した。いずれもMGM経営陣によってドラッグへの言及であると解釈されたためである。しかし、「ザ・リターン・オブ・ザ・サン・オブ・モンスター・マグネット」の11分37秒付近で指をぶつけたザッパが「fuck」と叫んでいるのが録音された箇所[17](回転数処理によって聴き取りにくくはあるのだが)については、レーベルは異議を唱えず、それに気づくことさえなかった。MGMはさらに、「マザーズ」などという名前のグループによるレコードをDJが放送することはまず考えられないという理由で、バンドを改名するようザッパに申し渡した[2][18]。
要するにだ、あのころはまともなミュージシャンってのはクソッタレ (motherfucker) のことで、マザーズってのはクソッタレ集団の略称のことというわけだ。実際には、そんな名前をバンドにつけるのは思い上がりもいいところだ。なにしろ俺たちはクソッタレを名乗れるほど立派なミュージシャンじゃなかったからな、正直言って……。もちろん地元のバー・バンド連中と比べれば俺たちは何光年も先を行ってたろうけど、本当の音楽的才能ってことに関していえば、俺たちは沼のどん底にいたってのが正確だろう。 — フランク・ザッパ[3]
『フリーク・アウト!』はバンドの新しい名前「ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション」名義でリリースされた。この名前はザッパ自身が選んだもので、MGMが最初に提案した名前は「The Mothers Auxiliary」であったが、これはレコーディングに参加した外部ミュージシャンたちの総称として用いられ、内ジャケットに記載された[19]。アルバムの裏ジャケットには、ザッパが作った架空の人物スージー・クリームチーズ(アルバムの中にも登場する)からの「手紙」が掲載されているが、その内容はマザーズがいかに奇態な連中であるかを告発し、学校の先生から歌詞の内容を教わって以来マザーズの音楽を聴こうという同級生はいないと述べたものである[20]。この文面はタイプライターで打たれた文書とよく似た書体で印刷されていたため、スージー・クリームチーズを実在の人物であると思い込み、コンサート会場で彼女に会えることを期待したファンも少なくなかった。そのため、「そんな素敵な女の子が実在するのだということをきっぱりと示すようなスージー・クリームチーズのレプリカを連れて行くのが一番いい」という決定がなされた[21]。最初にスージー・クリームチーズの声を担当したジャンヌ・ヴァソワールとは連絡がつかなくなっていたため、パメラ・リー・ザルビカが新しくその役を務めることになった[21]。
アルバムの初期プレス分には、1966年当時のカリフォルニアの名所を選び出してコメントを付した"Freak-Out Hot-Spots!" なる地図が含まれていた。この地図は再発分から封入されなくなったが[22]、1993年「BEAT THE BOOTS! #2」のブックレットにモノクロで載録された。また、2001年に発売された紙ジャケットの日本版再発CD(VACK1203)にはこの地図を再現したミニチュアの複製が同封され、ザッパ・ファミリー・トラストによって2006年にリリースされた『MOFOプロジェクト/オブジェクト』("The MOFO Project/Object" 、アルバムの制作風景を伝えるCD4枚組音声ドキュメンタリー)にも複製が封入された[9][10]。
注釈
- ^ 『フリーク・アウト!』発売後にヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「日曜の朝」をプロデュースした。
- ^ 白人が演奏するブルースの総称。
- ^ 後年キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに参加した際にはウィングド・イール・フィンガーリングという芸名を名乗った。
- ^ ザッパの高校の英語教師だったドン・セルヴェリスが脚本を書いた。
出典
- ^ “Awards for Freak Out!”. Allmusic. 2012年7月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 原著:Zappa, Frank; Occhiogrosso, Peter (1989). The Real Frank Zappa Book. New York: Poseidon Press. pp. pp. 65-80. ISBN 0-671-63870-X
日本語訳:ザッパ, フランク; オチオグロッソ, ピーター (2004). 『フランク・ザッパ自伝』. 河出書房新社. pp. pp. 78-96. ISBN 4-309-26719-X - ^ a b c d e Leigh, Nigel. Interview with Frank Zappa for BBC Late Show. UMRK, LA. March, 1993.
- ^ “Elliot Ingber info”. United Mutations. 2008年1月11日閲覧。
- ^ “FZ Musicians & Collaborators H-L: Elliot Ingber (Winged Eel Fingerling)”. Information Is Not Knowledge. 2008年1月11日閲覧。
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- ^ a b “FZ chronology: 1965-1969: The Mothers of Invention”. Information Is Not Knowledge. 2008年1月11日閲覧。
- ^ a b フランク・ザッパ『ロスト・エピソード』(VACK5153)ライナーノーツより。
- ^ a b c d フランク・ザッパ『フリーク・アウト!』(VACK-5236)ライナーノーツより。
- ^ Zappa, Frank. Radio appearance. WDET, Detroit, MI. November 13, 1967.
- ^ a b Biberfeld, Matty. Interview with Frank Zappa. WRVR, New York City, NY. Summer, 1967.
- ^ “Interview”. Rolling Stone (1988年). 2006年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月11日閲覧。
- ^ Zappa, Frank (Unknown date). “"Pretty Pat" (Interview excerpted on Joe's Corsage, VR 20041)”. 2008年1月11日閲覧。
- ^ フランク・ザッパ『フリーク・アウト!』(VACK-5236)裏ジャケットより。
- ^ a b Zappa, Frank. Interview. KBEY-FM, Kansas City, MO. October 22, 1971.
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- ^ Zappa, Frank. Interview. Mixed Media, Detroit, MI November 13, 1967.
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- ^ 『フランク・ザッパ自伝』河出書房新社、2004年、290頁。
- ^ Eliscu, Jenny (2002年11月28日). “Homer and Me: An interview with Matt Groening”. Rolling Stone. 2008年1月11日閲覧。
- ^ Fricke, David. The MOFO Project/Object. Liner notes. ZR 20004.
- ^ Robert Dimery, ed (2006). 1001 Albums You Must Hear Before You Die. Universe. ISBN 0789313715
- ^ Quasimoto. The Further Adventures of Lord Quas. STH2110.
- ^ Miliard, Mike (2006年10月11日). “Lagunitas Freak Out! Ale”. The Phoenix. 2008年1月11日閲覧。
- ^ Shelton, Robert (1966年12月25日). “Son of Suzy Creamcheese”. The New York Times. 2012年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月11日閲覧。
- ^ [1] [リンク切れ]
フリークアウト
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