ロイ・エストラーダとは? わかりやすく解説

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ロイ・エストラーダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 06:09 UTC 版)

ロイ・エストラーダ
Roy Estrada
ロイ・エストラーダ(2006年)
基本情報
別名 Roy Ralph Moleman Guacamole Guadalupe Hidalgo Estrada
Oréjon
生誕 (1943-04-17) 1943年4月17日(82歳)
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタアナ
ジャンル ルーツ・ロックロックドゥーワップ実験音楽
職業 ベーシスト
担当楽器 ベースボーカルギタロン
活動期間 1964年 - 1994年2000年 - 2012年
共同作業者 ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションリトル・フィートキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド

ロイ・エストラーダ(Roy Estrada、1943年4月17日 - )は、アメリカ合衆国ベーシスト作曲家フランク・ザッパが率いたザ・マザーズ・オブ・インヴェンション(以下、MOI)のオリジナル・メンバーで、MOIの同僚だったローウェル・ジョージリトル・フィートを結成した。2012年1月からテキサス州刑務所に服役している[1]

来歴

カリフォルニア州サンタアナにて、ヒスパニックの家系[2]に生まれる。本名は、ロイ・ラルフ・モレマン・グアカモーレ・グアダルーペ・イダルゴ・エストラーダ(Roy Ralph Moleman Guacamole Guadalupe Hidalgo Estrada)[3]。アコーディオン、ギターを経て12歳の時にベース・ギターを弾くようになった。16歳の時から音楽活動を始め、1960年にはロイ・エストラーダ・アンド・ザ・ロケッティアーズを結成してシングルを発表した[4][5]

1964年、レイ・コリンズ(ボーカル)、ジミー・カール・ブラック(ドラムス)らとR&Bグループのザ・ソウル・ジャイアンツを結成。彼等は1965年にザッパを迎えてバンド名をザ・マザーズに変更し、さらにデビュー・アルバム『フリーク・アウト!』(1966年)の発表に際して正式にMOIを名乗るようになった。エストラーダはMOIのオリジナル・メンバーとしてベース・ギターとファルセット・ボーカルを担当した。

1969年10月にザッパがMOIの解散を宣言すると、同年5月に薬物摂取を理由にMOIを解雇されたローウェル・ジョージリトル・フィートを結成した[5]。そして2作のアルバムの制作に携わったが、支持がほとんど得られなかったので、2作目の『セイリン・シューズ』をもって離脱した。

1972年、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに加入して、アルバム『クリア・スポット』の制作とライブ活動に携わった[注釈 1][6][7]

1975年9月、MOIに復帰して12月までの国内及びカナダでのツアーに参加。1976年1月から3月まで、MOI最後のライブ活動となったハワイ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、ヨーロッパを巡るワールド・ツアーに参加し、2月にはMOIにとってもザッパにとっても唯一の日本公演のメンバーとして来日した。ツアー終了後、MOIを消滅させてソロ活動に専念するようになったザッパの『ズート・アリュアーズ[注釈 2](1976年)の制作に参加。その後も彼の『たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船』(1982年)、『ザ・マン・フロム・ユートピア』(1983年)などのアルバムに参加した。

下記の罪状で服役して2002年に釈放され、音楽界に復帰してMOIの元メンバーとともにザ・グランドマザーズのライブ活動を不定期に開催した。

服役

1977年児童性的虐待の容疑で逮捕されて有罪判決を受けた[8]

1994年、同罪で2回目の逮捕となり、懲役6年の判決を受けて服役した[1]。2002年に釈放された。

2008年より近所の子供達に性的虐待を繰り返していた容疑で2011年に3回目の逮捕。2012年1月に懲役25年の判決を受け[1]、音楽界に復帰する可能性をほぼ完全に失った。[9]

ディスコグラフィ

ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション

ザッパの生前に発表されたものに限る[5]

オリジナル・アルバム

編集アルバム

リトル・フィート

キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド

オリジナル・アルバム

編集アルバム

フランク・ザッパ

『文明、第三期』以外、ザッパの生前に発表されたものに限る[5]

オリジナル・アルバム
コンピレーション・アルバム

フィルモグラフィ

参考文献に基づく[5]

脚注

注釈

  1. ^ 彼が加入した時、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドには、MOIで一緒だったエリオット・イングバー(ギター)とアート・トリップ(ドラムス、パーカッション)が在籍していた。メンバーは全員、ヴァン・ヴリートがつけた奇妙なステージ名を名乗ることが義務だったので、エストラーダは"Oréjon"と名乗った。
  2. ^ 同年2月3日に大阪厚生年金会館で開かれたMOIの公演で録音された「ブラック・ナプキンズ」が収録された。
  3. ^ キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド名義。

出典

  1. ^ a b c 元フランク・ザッパ・バンドのベーシスト、幼児虐待で逮捕”. Aol News. (2012年2月27日). 2013年4月12日閲覧。
  2. ^ Frank Zappa: (1) The Original Mothers Era オリジナル・マザーズ期 (1966-1970 by the album release years)
  3. ^ Discogsでのプロフィール(英語)
  4. ^ Discogs”. 2023年4月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e Ulrich (2018), p. 364.
  6. ^ Barnes (2011), pp. 157–158.
  7. ^ Ulrich (2018), p. 365.
  8. ^ homefacts.com Roy Ralph Estrada(現在、リンク切れ)
  9. ^ “Ex-Frank Zappa bassist Roy Estrada is jailed for 25 years for child abuse”. NME. http://www.nme.com/news/frank-zappa/62252 2024年12月7日閲覧。 
  10. ^ zappa.com”. 2023年3月13日閲覧。
  11. ^ imdb.com”. 2023年3月12日閲覧。
  12. ^ zappa.com”. 2023年3月13日閲覧。
  13. ^ imdb.com”. 2023年3月12日閲覧。
  14. ^ zappa.com”. 2023年3月13日閲覧。
  15. ^ imdb.com”. 2023年3月12日閲覧。
  16. ^ zappa.com”. 2023年3月13日閲覧。
  17. ^ imdb.com”. 2023年3月12日閲覧。

引用文献

  • Barnes, Mike (2011). Captain Beefheart: The Biography. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-78038-076-6 
  • Ulrich, Charles (2018). The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa. Vancouver: New Star. ISBN 978-1-55420-146-4 

外部リンク




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