TEEの構想
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TEEの構想を提案したのはオランダ国鉄の総裁であったF.Q.デン・ホランダー(Frans den Hollander)である。彼は1953年10月30日の記者会見で、Europa Express(ヨーロッパ急行)という新たな国際列車を提唱した。これはすべて一等車からなる高速の気動車列車で、当時の旅客機と同等以上の内装を有し、国境で乗務員を交代することなく運行されるべきものとされた。 デン・ホランダーは、300kmから500km程度の距離では列車は航空機に所要時間の面で優位に立てると考えた。また彼はこのころ国営航空会社KLMの役員も兼ねており、当時急速に発展していた航空業界のサービスを鉄道に取り入れようという意図もあった。一等専用としたのは、当時の航空運賃では二等旅客は航空機を選ぶことはないと考えられたためである。 デン・ホランダーの提案は国際鉄道連合で検討され、翌1954年10月にはヨーロッパ時刻表会議の議題となった。当初は国際寝台車会社をモデルに列車運行のための新会社を設立し、オランダの気動車を元にした共通車両を製作して使用するという構想であった。しかし各国間の調整がうまく行かず、以下の基準を満たした車両を各国鉄が製作し、共同運行することとした。 最高速度は140km/h(平坦線)、また16パーミルの登り勾配でも70km/h以上で走行可能であること。 軸重は18t以下。 共通のブレーキシステムを備える。 乗り心地は最高の水準のものとし、客席の騒音も可能な限り抑える。 客席は一等車のみとし、座席は最大で横3列(コンパートメント席の場合は1室6名、開放座席(中央通路)車の場合は通路を挟んで2列+1列)。 編成定員は100名から120名。 車内で温かい食事をとれること(食堂車を連結するか、客席へのケータリングサービスが可能)。 塗装はクリーム色ないしベージュ地に赤帯とし、前頭部に "TEE" のエンブレムを付ける。 また新列車の種別名はTrans Europ Express, 略称TEEと定められた。1954年時点で共同運行に参加を表明したのは以下の7か国の国鉄である。 ベルギー国鉄 ドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄) フランス国鉄 イタリア国鉄 ルクセンブルク国鉄 オランダ国鉄 スイス連邦鉄道(スイス国鉄) これらの国鉄によりTEE委員会が組織された。その本部はデン・ハーグに置かれ、その下に技術、時刻表、営業の3つの専門委員会が設置された。TEE委員会の初代委員長にはデン・ホランダーが就任し、その後もオランダ国鉄の総裁がTEE委員長を兼任した。 オランダ国鉄とスイス国鉄はTEE用の気動車を共同で製作した。ベルギー国鉄とルクセンブルク国鉄はTEEのメンバーではあったが、車両は提供していない。 1956年のヨーロッパ時刻表会議において、翌1957年6月2日夏ダイヤ改正からTEEの運行を始めることが決まり、そのダイヤが承認された。またこの時までにオーストリア連邦鉄道(オーストリア国鉄)がTEEのメンバーに加わった。
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