TEE以前の国際列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 06:49 UTC 版)
ヨーロッパにおける国際列車の運行が本格化するのは1872年に国際寝台車会社(ワゴン・リ)が設立されてからである。1880年代から1890年代にはオリエント急行、北急行など多くの国際列車が生まれた。これらは主にワゴン・リ社の一等寝台車と食堂車で編成され、国境や主要駅で機関車や客車をつなぎ変えながら運行された。 第一次世界大戦後の1920年代には、こうした寝台列車のほか、サロン車(プルマン車)による昼行の国際列車も登場した。ワゴン・リ社によるエトワール・デュ・ノールやエーデルヴァイス、そのライバルであるミトローパ車によるラインゴルトなどが代表例であり、これらはTEEの時代まで名を残した。これらの列車は一等および二等の客車のみ(当時のヨーロッパは三等級制)で編成されていた。また、1930年代になるとドイツやイタリア、フランスでは、従来の蒸気機関車牽引の列車よりも高速な気動車や電車による優等列車も現れた。 第二次世界大戦によってヨーロッパの鉄道は壊滅的な打撃を受けたが、1950年代には戦前を上回る優等列車網が復活した。1953年、西ドイツでは12往復からなる気動車特急列車(Fernzug, F-Zug)網が誕生した。同じ年イタリアではETR300形特急電車(通称セッテベロ)が運行を始めた。 一方で、このころには鉄道は航空機や自動車との競争に晒されるようになった。また特急列車の利用客も変わり、ごく限られた上流階級のための列車に代わって、国際的に活動するビジネス客のための列車が求められるようになっていた。
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