TEEモリエール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 18:57 UTC 版)
「モリエール (列車)」の記事における「TEEモリエール」の解説
1971年の区間短縮により、パリ・ルールはルール地方に乗り入れなくなり、名前と実態が一致しなくなった。このため西ドイツ国鉄が改名を求め、1973年6月3日から列車名は「モリエール」となった。 1975年6月1日には運行区間がさらに短縮されてパリ - ケルン間となり、ケルン中央駅でデュッセルドルフ、ドルトムント方面およびヴッパータール、ハーゲン方面へのインターシティと接続するようになった。このとき西ドイツ国鉄はモリエールを廃止することを提案していたが、ベルギー国鉄の反対によりケルン以西は存続した。 1975年冬にはバー(ビュッフェ)の営業が利用率の低迷を理由に中止された。1976年夏からは土曜日は運休となり、さらに1978年冬のダイヤ改正で日曜日も運休となった。 そして1979年5月27日のダイヤ改正でモリエールは二等車を含む列車となり、TEEではなくなった。この改正ではモリエールと接続する西ドイツのインターシティも二等車を連結するようになった。なおTEEとしての最終運行はダイヤ改正2日前の5月25日(金曜日)である。
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