F1デビューから王者へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 06:24 UTC 版)
「ジャック・ヴィルヌーヴ」の記事における「F1デビューから王者へ」の解説
バーニー・エクレストンの後押しもあり、1996年からF1に転向。当時屈指の強豪であったウィリアムズ・ルノーから参戦を開始し、初年度からその才能を遺憾なく発揮する。デビュー戦となった開幕戦オーストラリアGPでは、史上3人目となるデビュー戦でのポールポジション獲得という偉業を達成。決勝でもファステストラップを記録しながら残り5周までトップを快走し、史上初のデビュー戦ポール・トゥ・ウィンおよびハットトリックを達成するかと思われたが、レース終盤に発生したオイル漏れによりペースダウンを余儀なくされ(後ろにつけていたチームメイトのデイモン・ヒルは「ジャックのファッションセンスは大雑把に見えるが、レース運びも似たようなものがあるんだ。レース中にコースアウトした際にどこかをぶつけたようで、オイル漏れが発生したように見えた」と分析している。)、惜しくも2位に終わる。第4戦ヨーロッパGPでは、前年王者のミハエル・シューマッハとの接近戦を制してF1初優勝を達成。その後はコースによる得意不得意の差が出る事もあったが、後半戦で3勝を加えるなど、チームメイトであるヒルを猛追。最終戦日本GPまでチャンピオン争いを繰り広げるが、前半戦での結果の差が響いて最終的にはヒルに次ぐランキング2位に終わった。 参戦2年目となる1997年には、ヒルの放出によりチームメイトにハインツ・ハラルド・フレンツェンが加入。皮肉にも名実共にエースドライバーとなり、チャンピオン最有力候補に挙げられた。しかしチーフデザイナーだったエイドリアン・ニューウェイがヒル放出劇に激怒、更にチーム株保有を巡る意見の不一致から、前年11月にウィリアムズを喧嘩別れの形で離脱する。その結果、ニューマシンFW19の戦闘力が前年と比べて安定性を欠き、自身やチームの戦術のミスなども目立ち、タイトル争いは急速に戦力を上げたフェラーリのミハエル・シューマッハとの混戦模様となる。第16戦日本GPではフリー走行中の黄旗無視により、過去の違反累積から「執行猶予付き1戦出場停止」の立場にあったため、レース後に失格処分を受け、1点差のランキング2位で最終戦ヨーロッパGPを迎える。スタートで先行したシューマッハを追い上げ、ヘアピンコーナーでインからオーバーテイクを試みる。これをブロックしたシューマッハと接触し、マシンにダメージを負いながらも3位で完走し、父ジルが果たせなかったF1ワールドチャンピオンの夢を実現した(接触後にリタイアしたシューマッハはシーズン後、国際自動車連盟 (FIA) から選手権からの除外処分を受けた)。なお、シューマッハとはこの年、奇遇なことに一緒に表彰台に立つことはなかった。2020年現在、非ヨーロッパ人のF1チャンピオンはこの年のヴィルヌーヴが最後である。前年のデイモン・ヒル、2016年のニコ・ロズベルグはそれぞれ親子2代でチャンピオンとなっているが、「2世ドライバーのチャンピオン」はジャックが2人目である。 1998年は、前年限りのルノーがワークス活動から撤退したことにより、FW20は1997年のルノーエンジンであるRS9をベースに改良したメカクロームエンジンを搭載したことや、1996年11月のニューウェイ離脱によるシャシーの戦闘力低下などによりウィリアムズはコンストラクターズ3位と前年の1位から低迷することになった。その結果ジャックは未勝利に終わり、表彰台も第11戦ドイツGP、第12戦ハンガリーGPで獲得した3位2回と、不本意な結果でシーズンを終えた。
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