72系全金属車(920番台)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 20:00 UTC 版)
「国鉄72系電車」の記事における「72系全金属車(920番台)」の解説
1956年から1957年度にかけて増備された72系の最終グループである。1954年に実施されたジュラルミン電車を用いた試作全金属化改造(後述)の結果を受け、1956年度に量産先行試作として9両 (72920 - 72924, 79920 - 79923) が新製され、続いて1957年度に量産車68両 (72925 - 72963, 79924 - 79949, 79951, 79953, 79955) が新製された。なお、このロットでは72系新製車で初めて大阪地区(淀川電車区)にも新製配置された。 車体は、10系客車の設計思想を取り入れた軽量構造の全金属車体とされ、車体側面は従来車にあった窓上下の補強帯を外板の内側に隠し、雨樋を高い位置に置いて幕板に埋め込んだ、平滑な車体となった。内装についても木材の使用をやめて全金属化され、窓も従来の3段窓を廃してアルミサッシの2段窓とし、量産車では室内灯に蛍光灯が採用されている。クハ79形の前面には、全金属試作改造車に続いて、行先表示器が本格的に採用され、これにより、当時の国鉄通勤形電車前面形態の基本形が確立した。 また、台車も一体鋳造による軸ばね式台車のTR48(制御車・付随車)とプレス材溶接組み立て構造の上天秤式ウィングばね式台車であるDT20(電動車)を採用し、従来とは一線を画する乗り心地を実現している。 これらのスペックからもうかがえるように、本グループは従来車の設計を完全に一新した、国鉄旧性能電車の集大成ともいうべき車両であった。 「戦争に勝つまで保てばよい」として逼迫した情勢下で急造された63系電車は、その窮乏構造が大惨事の一因となった桜木町事故などによって「粗悪品」「ろくでもない代物」という世評を被ることになったが、その血統を継ぐ72系新製車は改良を重ねた結果、この最終形全金属車に至って完全に戦争の影を払拭し、当時の経済白書に記された一節「もはや戦後ではない」を体現した近代化車両となっていた。 しかしこのように装いを改めたとはいえ、大正時代の木造電車以来連綿と搭載されてきたゼネラル・エレクトリック亜流のMC1主幹制御器、電気ブレーキなしの自動空気ブレーキ方式、直流式の電動発電機、そして磁気回路の容量が大きく重い低定格回転数・強トルク仕様の電動機とばね下重量の大きな吊り掛け式の動力伝達機構を組み合わせた駆動システムなど、1950年代後半にはすでに前時代的となったシステムを引きずっていたことも、72系と国鉄の現実であった。それは例えば1926年製の17m電車であるモハ11形・クハ16形とも併結できる互換性確保には役立ったが(実際、昭和30年代の東京都心などではそのような運用も見られた)、当時ますます逼迫の度を強めていた東京圏の通勤輸送対策には、むしろその30年前の車両とも互換性を残した伝統的な仕様が、足かせとなり始めていた。在来技術改良ではこれ以上の発展は見込めず、制御システムや駆動方式、ブレーキ機構の根本的革新を待たねばならなかった。 全金属車のうち1958年初めに製作されたグループをもって、国鉄旧性能電車の新製は終了し、以後の増備は101系などの新性能電車に引き継がれていくことになる。
※この「72系全金属車(920番台)」の解説は、「国鉄72系電車」の解説の一部です。
「72系全金属車(920番台)」を含む「国鉄72系電車」の記事については、「国鉄72系電車」の概要を参照ください。
- 72系全金属車のページへのリンク