72系への改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 07:34 UTC 版)
「国鉄72系電車#63系改造編入車」および「国鉄72系電車の新旧番号対照#63系電車の体質改善改造にともなう改番」も参照 1951年11月からは63系を対象とした追加の保安対策として、主制御器の遮断方式の改良と断流器の増設、機器および配線の統一、主回路および母線の電線交換、電線の電線管への収納、三段窓の中段の可動化、天井板の金属製化、ベンチレーターの絶縁化と鋼製屋根への絶縁布の張付、戸閉回路・パンタグラフ操作回路用の補助回路および蓄電池の設置、などの改造が行なわれた。電動車は「63形」のネガティブで悪いイメージを避けて[要出典]モハ73形(制御電動車)に改称され、運転台を撤去した中間電動車はモハ72形となった。クハ79形制御車、サハ78形付随車も同様の改造を受けたが、この2形式に関しては「63形」とは離れた番号ということから[要出典]改称はされていない。また電装品不足から非電装で使用されていた「クモハ」「サモハ」はそれぞれ両形式に編入されてクハ79形100番台およびサハ78形300番台となった。なお、1950年度新製車のモハ63855 - 63858は、後の72系新製車に近い設計であったため[要出典]上記のような改造は施されずに番号の改称のみが行われてモハ73形400番台となり、側面窓や貫通扉、配線などの改造はその後の実施となったほか、1950年に大井工場で1950年度新製車と同様の形態とする更新工事を実施したモハ63630、モハ63848も番号のみ改称されてモハ73172、モハ73134となっている。また、本形式の改造終了後の1954年からは他の戦前製電車に対しても同様の内容で戦後2度目の更新修繕(更新修繕II)が施工されている。 この追加保安対策工事は1951年から1954年の間に国鉄工場・民間車両メーカーを総動員して行われ、63系電車は72系電車に再編されたが、3年で700両の車両の体質改善工事が完了したことは、桜木町事故が国鉄と運輸省に与えた衝撃の大きさを物語っている。
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